孫と散歩の途中に、カラス豆を見つけた。正式名称はカラスのエンドウと言うらしいが、思わず大きめのを摘み取り、鳴らしてみた。最初はうまく行かなかったが、そのうちあの懐かしいビービーという音がでた。孫もやってみるがうまくならない。しかし、小さな豆に興味を持ったようで、いくつか採って持って帰る。
私も50年以上のぶりでこれで遊ぶ。娘はその存在も知らなかったよう。昭和の遊びである。令和になっても昭和の遊びはそれなりにいい。ただの雑草であるが、愛らしい豆と、吹いたときの音。童心に帰った時間であった。
私も50年以上のぶりでこれで遊ぶ。娘はその存在も知らなかったよう。昭和の遊びである。令和になっても昭和の遊びはそれなりにいい。ただの雑草であるが、愛らしい豆と、吹いたときの音。童心に帰った時間であった。
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司馬遼太郎の「竜馬が行く」全8巻を読み終えた。これで3回読んだことになる。
竜馬は、物事の本質だけを理解し、求め、行う人であった。そのため変人扱いされることもあったが、却ってそのため人を引き付ける歩とでもあった。現代においては、間違いなくアスペルガーなどと言われ、扱いに困る人であろう。しかし、こんな若者が私は好きである。物事の本質を重視し、どうでもいいことには無頓着な若者が最近減ったと思う。今の若者には是非読んでもらいたい作品である。
ちなみに、この時代国を動かそうとしているのは、維新はであれ佐幕派であれ(新撰組もしかり)20代から30代前半の若者がほとんどであった。今思えば信じられないくらいの若さで国を動かそうとしていたのである。
いまの若者はもっと活発に動くべきである。
竜馬は、物事の本質だけを理解し、求め、行う人であった。そのため変人扱いされることもあったが、却ってそのため人を引き付ける歩とでもあった。現代においては、間違いなくアスペルガーなどと言われ、扱いに困る人であろう。しかし、こんな若者が私は好きである。物事の本質を重視し、どうでもいいことには無頓着な若者が最近減ったと思う。今の若者には是非読んでもらいたい作品である。
ちなみに、この時代国を動かそうとしているのは、維新はであれ佐幕派であれ(新撰組もしかり)20代から30代前半の若者がほとんどであった。今思えば信じられないくらいの若さで国を動かそうとしていたのである。
いまの若者はもっと活発に動くべきである。
過日、池上さんの韓国に関する番組を見た。日本大使館前にある慰安婦像で、集会を開いていた若い子に池上氏が質問する「日本の総理は何度も、謝罪の手紙を元慰安婦に対し送っていることを御存知ですか?」と。彼女らい曰く「知りません。」との返事。韓国内では知らされてないこともあるそうだが・・・。政治活動、デモ、抗議などは若者として大いに結構、むしろ奨励するが、その前に勉強をして、知識を吸収してから行ってほしい。良く知らないのに、抗議活動、政治活動などはするものではない。物事を批判するときは、事前に下調べ、勉強をするべきなのである。
この件に関しては、少なくとも、日本は謝罪していない、戦後の補償をしていないという事実はない。
この件に関しては、少なくとも、日本は謝罪していない、戦後の補償をしていないという事実はない。
脱サラをし、独立、学習塾を始めてから満31年になる。昭和63年の3月のことであった。そして今32年目を迎えようとしている。この間思っていたことは、家を作ること、二人の子供を大学に出すこと、こればかり考えていた。そのため自分のことは後回し、服の購入、外で飲むことを極力避け、ただただ家のローンの返済、二人の子供の学費と仕送りに奔走されてきた。そのため昼夜、日曜も働き、それでも収入が少ない時は深夜の家庭教師までやった。
田舎の零細企業ではこのうちの一つくらいしかできない収入だったので、独立、自営は目的を達成した今はまあまあの成功だったともいえる。(そのため今現在は経済的に苦しいが、それでも可)何もバックボーンを持たない私としては良くやったとも思う。親として当然だと言ってしまえばそれだけだが、子らに感謝せよとは言わない、しかし非難はしてもらいたくはない。
今後は、自分を中心に生きていこうと思う、32年目である。
田舎の零細企業ではこのうちの一つくらいしかできない収入だったので、独立、自営は目的を達成した今はまあまあの成功だったともいえる。(そのため今現在は経済的に苦しいが、それでも可)何もバックボーンを持たない私としては良くやったとも思う。親として当然だと言ってしまえばそれだけだが、子らに感謝せよとは言わない、しかし非難はしてもらいたくはない。
今後は、自分を中心に生きていこうと思う、32年目である。
ドナルド・キーンさんが亡くなった。本日の中日新聞のトップである。彼のことを知ったのは高校時代、その後本を読むたび彼の名がちょくちょくと出てきたものである。そんなキーン氏に興味を持ったのは社会人になってからである。高齢ながら前向きに生きていらっしゃるのがかっこよく、こんなふうに年をとれたらいいなと思いながら、彼の文を本または新聞で読んだものである。
戦後の荒れ果てた日本に文学と言う方法で、日本人を目ざましてくれたことは日本文学会において計り知れない成果をあげてくれたのである。そして、東日本の震災の時、日本から逃げ出す外国人を見て嘆き、日本国籍を取得した時は私も嬉しかったものである。
こんな人生を送れたらと思う人であった。
戦後の荒れ果てた日本に文学と言う方法で、日本人を目ざましてくれたことは日本文学会において計り知れない成果をあげてくれたのである。そして、東日本の震災の時、日本から逃げ出す外国人を見て嘆き、日本国籍を取得した時は私も嬉しかったものである。
こんな人生を送れたらと思う人であった。
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