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塾の授業内容で、クチナシの花との言葉が国語の文に出ていた。文中にも唄にもなったともある。その唄は渡哲也の曲である。少し口ずさんでみた。何のことはない話であるが。その翌日、俳優であり歌手でもある渡哲也が亡くなった。それから数日後、学生時代麻雀をやりながら、唄ったことがある「僕はナィチッチ」をなぜか何十年かぶりに口ずさんで作業をしていたら、その日その唄を唄っていた歌手の守屋浩氏が亡くなった。ある本を読み終え次に読む本はと、本棚をあさり読みは時またのが戸井十月の「ゲバラ最後の時」読み始めて気づく、始めた日は10月9日、つまりゲバラが死んだ日であった。
 学生時代の友人と久しぶりに会うことになり、昔の「俺たちの旅」のワカメこと森川正太のキャラを思い出していたら、その翌日役者、森川正太が亡くなった。
 これらの短期間に怒ったことはすべて偶然なのでしょうか?
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昨日、静岡の友人Hが我が家にやって来た。10年ぶりに会うことになる。金華山に登りたいということで、二人して登頂。彼とは10代後半に大学で知り合い40年以上友人である。連絡が途絶えていても友人であることに変わりがないという関係である。お互い年をとったものですが、会えば若返るものである。登頂後、岐阜市内を散策、我が家に帰ってきたら、何年か前の塾生が、教員採用試験に合格したとの便り。直接来たのであるが、残念ながら私は不在のため女房が対応。その後メールもあり、祝いの返信。何年たっても、関係が切れずにいるという嬉しさの多い日であり、塾をやっててよかったとも、H氏を友人に選んでよかったとも思える幸せな日であった。
「さんま焼けたか いきな親父の声がする」斎藤哲夫の唄である。この時期になるとなぜかこれを口ずさんでしまう。本能的にしみついた秋の感覚だろうか?
 このさんま、今年はとんでもなく高いそうだ。不漁が原因である。昨年は、中・韓の人たちが南下する前にとってしまって余り漁獲量が多くなかったということであるが、それでもある程度はとれた。しかし、今年はなぜ不漁なのか、温暖化が原因らしいというが・・・・。
 さて、このさんま豊かでない家庭(すなわち貧乏)でもジャッコを除いて唯一の尾かしら付きのさかなである。これが今年は一尾800~1000円するということである。昨日食したのは昨年のさんま(それでも200円くらい)、けっしてまずくはないのであるが、太った新さんまと比べるとやはり劣る。太った新さんまのはらわたが好きな私には何か物足りない。秋の味覚はやっぱり新さんまがいい。今年は望めそうもない。
日曜日、孫を連れて美並の温泉まで、ドライブ帰りに美濃市洲原のヒマワリの咲いてる場所(正確な名前は失念)に行った。国道156号線の看板には「まぁへえ~咲いとるよ」との文字。言わずと知れたこの地方の方言である。標準語にすれば「もう咲いてます」なのだが、なんとなく「まぁへ~」の方が寄ってみたくなる。最近でも市内の大学が「おんさい(祭)」とか商店街が「行こまいか」とのこの地方の言葉を使ってあればなんとなくほのぼのとする。
 かつては関市の言葉は汚いと言われ、標準語を使えとの学校でも指導があった。しかし、いまは、関人としては堂々と関語をつかう。ほんでええやねいか。
コロナの影響で、夏休みが短縮された。始まりも遅く、終わりが早いという、短い夏休みとなる。毎年、夏休みは私としては家業の学習塾の夏期講習で忙しい充実した夏となり、お盆休みは貴重な休みとなる。最も今年はお盆休みも短いのだが。
 しかし今年は静かな夏になりそうである。毎年の騒がしい高校野球がないからだ。野球にあまり興味がなく、高校野球は嫌いな方の私としては静かで嬉しい夏になりそうである。
 なぜ嫌いか?今までによく体験したことであるが、病院の待合室、喫茶店、食堂などではテレビが放映されていることが常である。それは、場所柄比較的穏やかな番組が選択されていることが多い。そんな中に野球好きな無礼者が入ってくると、「なんでこんな番組を見ているのだ?高校野球がやっているのではないか。」という態度、または言葉に出して、自分のテレビでもなく、他の人が見ているにもかかわらず、チャンネルを変えてしまう。そして、「俺が君たちのために、チャンネルを変えてやったんだぞ!」といゆ態度である。かくして静かな病院の待合室は騒がしい、番組に変わるのである。父親が健在な時、父親の仕事仲間がきて、「なんでこんなものを見ているのだ!野球をやっているではないか!」と言って強引に変えられ、「俺は親切者だ。」という態度をとられ、家族で苦笑いしたこともあった。
 家の近くの工事現場でも車から大音量で高校野球を流し、辟易することもあった。暑い盛り、やっと見つけた喫茶店に入ったら、また大音量での野球、客も大声。こんな店に入るのではなかったと後悔したこともあった。
 彼らは必ず言う。「一所懸命にやっている先週はすばらしいとは思わないのか?」私は思う「それは認めますが、我が塾で毎日一所懸命に講習会を受けている子たちも素晴らしいのだ。」そういうと彼らは言う。「暗い。かわしそうだ。」私の塾生は高校球児に負けないくらい一所懸命やっており、私は評価する。
 コロナで中止になったが、岐阜県大会はやるようである。今、岐阜県の野球の強い高校がコロナ患者が出たそうである。なぜ、こんなときにやるのだ?他のスポーツ、文化系の活動は中止にになっているにかかわらずである。
 この特別扱いは私は納得いかない。
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