2020年度から大学入試のOA,推薦入試に学力試験を架すようにという文科省の通達があった。目的は、低くなりすぎた大学生の学力を向上させるためである。OA入試・推薦入試は実質無試験入試であり、中には小学生程度の学力の者さえいる。私も大学で講義をしているが、300円の1割がいくらかわからないという質問を受けたことが2度あった。そのうちの一人は「300円の1割は10円ではないのか?」と聞く。出来の悪い小学生レベルである。すべての生徒がそうではないが、そういう生徒が大学に存在するのである。
現、OA・推薦入試は、所謂低レベルの高校(小学生から中学2年くらいの勉強しかしない高校)からの受け皿になっている。実業高校では就職が出来ないから進学ということが現実である。
そのため、推薦では内申の良しあしが評価される。すなわち、進学校の高レベルの高校で中間の成績(評価3)を取っている子より、低レベルの中学2年並みの授業しか行わない高校の評価5のほうが上になるという不平等な結果になるのである。進学校で一所懸命に学問をやっているより、低レベルの上位、しかも受験勉強ゼロの生徒が評価されるということになるのである。
真面目な子が馬鹿を見るという入試方法である。
大学と言う以上ある程度の学力が必要である。
現、OA・推薦入試は、所謂低レベルの高校(小学生から中学2年くらいの勉強しかしない高校)からの受け皿になっている。実業高校では就職が出来ないから進学ということが現実である。
そのため、推薦では内申の良しあしが評価される。すなわち、進学校の高レベルの高校で中間の成績(評価3)を取っている子より、低レベルの中学2年並みの授業しか行わない高校の評価5のほうが上になるという不平等な結果になるのである。進学校で一所懸命に学問をやっているより、低レベルの上位、しかも受験勉強ゼロの生徒が評価されるということになるのである。
真面目な子が馬鹿を見るという入試方法である。
大学と言う以上ある程度の学力が必要である。
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大型連休(ゴールデンウィーク)が終わった。我が家は倅の運転で箱根にドライブ。岐路に小田原城にも行き、休日を堪能する。毎年この時期、GWがやってくることを心待ちにしながら、なぜか否定的な気持ちもあったが。今年は観光地に行き多くの人手を見、これが経済を動かす原動力何だと思い、肯定的に感ずる。ただ6月には祝日がないのが、喪失感につながる。
フォークシンガーの加川良が亡くなった。我々昭和のフォーク小僧にとって彼は救世主のような人物であった。60年代後半から70年代にかけ中津川でフォークジャンボリーというのが開催された。いわば日本版ウッドストックの様なものである。当時中学生か高校生だった私は同級生に誘われたのだが、その同級生があまり信頼が出来る人物ではなかったため断ったいきさつがある。今思えば無理をしても行くべきだったとも思うが・・・。
その中津川で、突如現れたのが加川良である。かれはURCレコードの営業マンだったそうである。その彼がステージに立ち「教訓Ⅰ」を唄った。その結果、我々若者層に支持を受け、押しも押されぬフォークシンガーとなった。最初私も加川良って誰だ?と疑問を抱いていたところ、その唄を聞くや否や「これだ!」と反応したものである。
フォークがだんだんとニューミ―ジックとよばれるようになり、愛だの恋だのというミーハーの歌謡曲と変わらないように変遷していく中で、彼は、まさにフォークの源流である、メッセージフォークに時代を戻したのである。この功績は我々フォーク小僧には嬉しいことであった。
今、自分の部屋でギターを弾きながら教訓Ⅰを唄った。この社会情勢のなかで、今の若者にも受け継いでいきたい唄である。
その中津川で、突如現れたのが加川良である。かれはURCレコードの営業マンだったそうである。その彼がステージに立ち「教訓Ⅰ」を唄った。その結果、我々若者層に支持を受け、押しも押されぬフォークシンガーとなった。最初私も加川良って誰だ?と疑問を抱いていたところ、その唄を聞くや否や「これだ!」と反応したものである。
フォークがだんだんとニューミ―ジックとよばれるようになり、愛だの恋だのというミーハーの歌謡曲と変わらないように変遷していく中で、彼は、まさにフォークの源流である、メッセージフォークに時代を戻したのである。この功績は我々フォーク小僧には嬉しいことであった。
今、自分の部屋でギターを弾きながら教訓Ⅰを唄った。この社会情勢のなかで、今の若者にも受け継いでいきたい唄である。
愛知県が、部活動を中学は週2かい、高校は週1回以上の土・日を含む休みをするように各校に通達を出すという。目的は教員の休暇を取るためだという。もちろんそれも大事なことである。
では生徒側はどうだろうか。生徒側としては、土日も休みなく部活に明け暮れる子は、どうも学習面・性格面で難が出てくる場合がある。大会に勝つためには、他人を蹴落とすことになるのだが、これが生活面に出てくるのである。自分はスポーツが出来るから、立派な人間なのだというおかしな自覚を持つ。または部活をやっているから勉強は出来なくてもいいのだ、そして部活をやっているから高校は入れるのだという偏った感覚を持つのである。もちろんすべてではないが。そういう子が出現することは事実である。
部活動も、勉強もほどほどがいいのである。ただし、勉強のしすぎでおかしな性格になったというのは現実の中ではあまりいない。スポーツばかりやるのは連帯感が出来、勉強が出来なくても「いい人」であり、ガリ勉は歪んだ性格になるというのは学園ドラマの世界だけである。現実は逆が多い。
では生徒側はどうだろうか。生徒側としては、土日も休みなく部活に明け暮れる子は、どうも学習面・性格面で難が出てくる場合がある。大会に勝つためには、他人を蹴落とすことになるのだが、これが生活面に出てくるのである。自分はスポーツが出来るから、立派な人間なのだというおかしな自覚を持つ。または部活をやっているから勉強は出来なくてもいいのだ、そして部活をやっているから高校は入れるのだという偏った感覚を持つのである。もちろんすべてではないが。そういう子が出現することは事実である。
部活動も、勉強もほどほどがいいのである。ただし、勉強のしすぎでおかしな性格になったというのは現実の中ではあまりいない。スポーツばかりやるのは連帯感が出来、勉強が出来なくても「いい人」であり、ガリ勉は歪んだ性格になるというのは学園ドラマの世界だけである。現実は逆が多い。
親父は太り気味で、10代で旧陸軍の兵長になったほどの丈夫な人だったが、60歳を超えたころに病気になり闘病生活を続けていた。闘病生活の毎日に背を丸め食後に薬を取り出し、湯のみ茶碗で飲むというのが習慣であった。それを見て私はなんとなく哀れにも思ったものである。
しかし、今現在、私は朝食後の高血圧の薬を飲んでいるのが現状である。やはり無意識に背を丸めている。これが老いというものだろう。自分だけは若くありたい思っているが、確実に体・外見は老いていっているのが現実である。これも人生。
しかし、今現在、私は朝食後の高血圧の薬を飲んでいるのが現状である。やはり無意識に背を丸めている。これが老いというものだろう。自分だけは若くありたい思っているが、確実に体・外見は老いていっているのが現実である。これも人生。
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