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 市が現在プラスチィクゴミの分別をやめることを検討しているという。現在市の条例では、プラスチィクのゴミ、トレイ、食品包装紙などは綺麗に洗い、専用の袋に入れ出すことにしている。しかし、そのほとんどは一般のゴミと一緒に燃やされているのが現実である。つまり、焼却するものを、洗剤で洗い、市が電動ポンプでくみ上げた水で濯ぐのである。洗剤を流す汚染、水をくみ上げるエネルギーを使っているのである。
 我々は、環境という名のもとで知らず知らずに反対のことをしている場合がある。
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 今日は、市内の中学校の卒業式である。今現在行われている時刻である。
 卒業式といえば、小・中・高と私はあまり感傷的にはならなかった。しかし、大学の卒業式はそうではなかった。私の通った大学は横浜市内の丘の上にある。電車を降りしばらく歩くのであるが、丘に登りついたときにマリンタワーが見える。毎日くらい見ている景色である。卒業式の当日、その丘の上でマリンタワーを見た時、なぜか急に涙がこぼれそうになった。
毎日見ているこの景色、明日から見ることが出来ないと思うと、なぜかすべてが終わったと感じたものである。
 式が終わり、研究室で談話、飲食、その後帰るのであるが、やはり丘の上でもう一度マリンタワーを見た。目に焼き付けるように。そして二度と振り返らないと心に決め、涙を抑え帰ったのだった。青春の第1章が終わった日である。
 一昨日・昨日とあまりよろしくない教員について述べました。ついでにもう一つ、高校時代にTという先生がいた。彼も多くの生徒に嫌われ、先生仲間でも嫌われていたようだ。(部活顧問の先生が酒に酔って話していた)彼は授業をやらない、視聴覚教室でビデオと自分の講義を録音したテープレコーダで行う。その間となりの事務室でコーヒーを飲んでいたようだ。また、何かに私たち生徒をバカにし、自分の出身高校の名前を出す嫌味な人だった。明らかに怠慢。
 私は授業をすることが楽しい、ビデオなんぞで手を抜きたくない!世の中の衛星予備校はなぜあんなに高額で生徒が集まるのだろうか?

 この項これで終わりにします。しかし、いい先生もいっぱいいました。悪さをした時殴られもしたが決して当時も今も恨んでいません。そんな先生の方が魅力があるようです。
 昨日程過激でないですが、もうひとつの話。
小・中学校を通し、私は音楽が嫌いだった。学期は引けないし、クラッシック音楽なぞまったく興味も持てない。この曲をきいたらこの様に感じなさいと言われても、感ずることも出来ず、よわった子でした。ちなみに学生時代にカッポレはドイツの葬式の曲だと知ったとき、いろんな感受性がありまんざら私の感受性もおかしくはないと判断したのですが・・・・・・・。
 私の担当だった音楽の先生はすべて女の先生でした。そして、その先生に共通して言えることは「エコひいき」をすることでした。また、ときにはヒステリーもあった。今の子達にそれを言うと確かに音楽の先生はエコひいきが多いという。そのヒイキはやはり優秀な子、またはお金持ちの子だったように思う。
 なぜだろうか・・・・・?
私が小・中学生時代は先生になられた方は昭和30年代から40年代の初め、中には戦中・戦後直後に大学を卒業された方になる。今でこそ大学は大勢の方が行かれるが、当時大学に行かれる方は例外なく、優秀そしてお金持ちなのである。そのため上から目線で貧乏人を毛嫌いしていたようである。(お金持ち特有の優越感)そのため私の様な劣等生、オヤジが職人という家の子はかなり差別を受けていた。
 こんなことがあった。音楽室にはピアノがある。私たちのような劣等生は少し触っただけで「ダメです。指紋がつきます。」と叱られる。もちろん興味本位に触れるのであるが。ところがいいとこの子にはみんなの前でピアノを弾かせるのである。そして言う。「○○フレーズをもう半音あげるともっと良かったです。家で練習してください。」 アホか!当時のピアノは今でいうとベンツのような高級なもので一般家庭では考えることも出来ない高価なものだったのである。(今もそうだが)
 教育とは皆等しい権利、そして好奇心を持たせることではないか。今はこんな先生はいないと思うが、昔はいたのです。
 私が小学3年生の時の話である。担任にYという女の先生になった。おそらく新任であったろうと思うが。その話。
とにかくひどい先生だった。授業を放り出し、階段の踊り場で男性教師のTと逢引。(その後二人は結婚した)事件があれば「○○君がやったのです。」と何の根拠もなく断定。喧嘩をすれば一方的に片方を悪者扱い。悪ガキだった私はずいぶんいじめられた。ある日、喧嘩をした私は例にもれなく一方的に悪くされ、遅くまでの居残りのお説教。もちろん相手はお構いなし。納得がいかない私は、家に帰りオヤジにいう「喧嘩して叱られるのは仕方がないが一方的に自分だけ残され叱られることは納得がいかない。」と。オヤジはいう。「本当にそう思うか?」私は肯定。オヤジはいう「明日から学校に行くな!」私は生まれて初めて登校拒否をした。その晩、その先生は我が家に謝りに来た。水に流して翌日からが学校にいったのだが、彼女曰く「あなたは私が嫌だから昨日学校をやすんだのでしょう。」とみんなの前でいう。この時私は今風にいえば「切れた」のである。この人は悪い人だと。今に偉くなってこの人をクビにしてやると。
 また、理科の時間である、ビーカーに水を一杯いれ、そこに沈む物体を入れ、あふれ出た水はその物体の「重さ」であるという。私曰く「体積じゃないのか?」彼女曰く「いいえ、重さです。」と言い張る。
 また、音楽の時間、レコードを聴くとき、レコード針をレコードに落とし、スイッチを入れる。「ひょっとすると途中から始まるかもしれません。」という。「スイッチを入れてから針を落とせばいい。」と私が言うと。「あなたはすぐ物事を簡単にいう悪い癖があります。」という。簡単なことである、スイッチを入れ針を落とせばいいのである。
 なぜこんな人間的にも学力的にも劣る人が先生になれたのだろう?
 数年たって私が大学生の時、アルバイトでお歳暮の配達を行っていた。商品を見るとその人の名前。私は配達拒否をした。ひょっとしたら罵詈雑言を浴びせるかもしれないからと・・・・・。
 子供が小学校に上がる時、もし未だこの人が現役でいたら、子の教育のため、堂々と校長室に乗り込み理由を述べ、、教員とは認められないからと言い、担任にはさせないでくれというつもりだった。ちなみに子供が小学校入学と同時に引っ越したのであるが、引っ越す前の地域の小学校に現実にいた。あぶないところでもあった。
 平成になり、このことを、我が塾で話したことがあります。もちろん名前は出さないですが、ある生徒曰く「それってT先生のことじゃない?」という。ウソが言えない私は自分の顔色が変わるのを感じました。さらに生徒曰く「この先生はなにか事件があると、○○君がやったに決まっています。と言い、少なくとも登校拒否を二人作っているよ。」と言う。私はこの時前出の学校にいると知ったのであるが。人は変わらない・・・・。私のような辛く、惨めな思いをした子が何人もいると思うと、辛い。 
 おそらく私立だったらすぐ解雇だろうな。最低限の人格を持たない人は教員になってはいけない!
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