本日、運転免許証の書き換えに行った。優良運転者ということで簡単に終わったのだが、講習では事故、飲酒運転については何度も繰り返し指導していた。
本来、私は車の運転があまり好きでない。できれば運転せずに暮らしたいものである。ましてや自動車運転を仕事の中に取り入れることなど絶対拒否したいものであるが、意に反してサラリーマン時代はしていた。横浜・東京に数年住んでいたが都心は交通機関が発達していて、むしろ自動車に乗ることが不便なときもあった。しかし、我が町では自動車は必需品。車社会がどうもせせこましくて煩わしいと思うときもある。時間の短縮など望まずにもっとゆっくりと行きたいと思うときがある。
地方にも鉄道網をしっかりさせ車の数を少なくし、CO2の排出を減らせばよいと思うこのごろである。無理なことだと思うが・・・。
本来、私は車の運転があまり好きでない。できれば運転せずに暮らしたいものである。ましてや自動車運転を仕事の中に取り入れることなど絶対拒否したいものであるが、意に反してサラリーマン時代はしていた。横浜・東京に数年住んでいたが都心は交通機関が発達していて、むしろ自動車に乗ることが不便なときもあった。しかし、我が町では自動車は必需品。車社会がどうもせせこましくて煩わしいと思うときもある。時間の短縮など望まずにもっとゆっくりと行きたいと思うときがある。
地方にも鉄道網をしっかりさせ車の数を少なくし、CO2の排出を減らせばよいと思うこのごろである。無理なことだと思うが・・・。
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子供のころ(小学生のころ)坂本竜馬が暗殺され、真犯人は不明という内容の番組を見た。子供心に思った。そんなに昔ではないのになぜだろうと。数百年前に起こった本能寺で信長を殺したのは光秀だということさえわかっているに。ある意味で不思議である。
ところがさらに下って昭和にも真相が解らないことがある。例えば「日中戦争の勃発となった最初に弾丸を発したのは日中どちらか?」「ノモンハンは本当にソ連に負けたのか?」である。前者は日本と中国側の言い分がまるで食い違う。後者はノモンハン事件に関してはソ連(現ロシア)には記録がないという。そのため見直しもされている。実際は、ソ連軍は日本軍の数倍の人員・武器を所持していたが、被害も日本の数倍であったらしい。そして日本側はソ連と比べ、少ない人員・武器のため損傷率にすれば圧倒的に日本側のほうが多かったのである。実数はソ連側のほうがはるかに多かったため、ソ連ないでは負け戦とみているようである。
また、他に今も問わされている「南京大虐殺」「従軍慰安婦の強制」に関しても真実が、意図的にゆがめられて、歴史の真相が不明になっている。
私なりの推測
南京大虐殺・・・・・もちろん戦闘行為はあった。時の中国には「遍衣兵」という兵が多くいた。それは軍服を着ていない私服の兵である。見かけは非戦闘員になり兵ではないが、れっきとした兵である。その戦闘による死者が一般市民と見られた。もちろん紛争に巻き込まれた一般市民もいたことは想像に難くない。そしてその犠牲者は3000万人と言われ、次に300万人になり、現在は30万人とされている。数字が刻々と変化してきている。また、虐殺の写真を見たことがあるが、殺される方が笑っていたり、まわりの者の視線が様々に向かって合成写真のようだったりもしている。また、殺害しようとしている人が中国人らしかったり、頭をかしげるようなものだったり。
余談であるが最近「アウシュビッツはなかった」という人までも現れた。実際ガス室に送られるユダヤ人の映像を見たが、多勢のユダヤ人が整然と並んでガス室に入っていくのを見て、なぜ暴動が起きないのかとも疑問に思った。こんな説が出るものなんかそこらあたりにあるのではとも思う。
従軍慰安婦・・・・軍または日本政府は強制はなかったということだと。もちろんあれば望ましいということはあった。ただ強制が生活苦のために強制的にやらされたというのは真実であるが、問題は日本政府または軍が連れ去ったということにしてしまっているのである。「生活苦のため嫌だけどやりました。」とは自分の立場上言えないのである。都合の悪いこと、自国に不利なことは認めないため歴史の真相が不明になるのである。そのため、証言が二転三転と。しかし、最近慰安婦は財政的にも精神的にも恵まれていたという資料も出てきていることも事実である。
こんなふうに歴史の真相を複雑にしているのである。勝者に都合のいいように・・・。
ところがさらに下って昭和にも真相が解らないことがある。例えば「日中戦争の勃発となった最初に弾丸を発したのは日中どちらか?」「ノモンハンは本当にソ連に負けたのか?」である。前者は日本と中国側の言い分がまるで食い違う。後者はノモンハン事件に関してはソ連(現ロシア)には記録がないという。そのため見直しもされている。実際は、ソ連軍は日本軍の数倍の人員・武器を所持していたが、被害も日本の数倍であったらしい。そして日本側はソ連と比べ、少ない人員・武器のため損傷率にすれば圧倒的に日本側のほうが多かったのである。実数はソ連側のほうがはるかに多かったため、ソ連ないでは負け戦とみているようである。
また、他に今も問わされている「南京大虐殺」「従軍慰安婦の強制」に関しても真実が、意図的にゆがめられて、歴史の真相が不明になっている。
私なりの推測
南京大虐殺・・・・・もちろん戦闘行為はあった。時の中国には「遍衣兵」という兵が多くいた。それは軍服を着ていない私服の兵である。見かけは非戦闘員になり兵ではないが、れっきとした兵である。その戦闘による死者が一般市民と見られた。もちろん紛争に巻き込まれた一般市民もいたことは想像に難くない。そしてその犠牲者は3000万人と言われ、次に300万人になり、現在は30万人とされている。数字が刻々と変化してきている。また、虐殺の写真を見たことがあるが、殺される方が笑っていたり、まわりの者の視線が様々に向かって合成写真のようだったりもしている。また、殺害しようとしている人が中国人らしかったり、頭をかしげるようなものだったり。
余談であるが最近「アウシュビッツはなかった」という人までも現れた。実際ガス室に送られるユダヤ人の映像を見たが、多勢のユダヤ人が整然と並んでガス室に入っていくのを見て、なぜ暴動が起きないのかとも疑問に思った。こんな説が出るものなんかそこらあたりにあるのではとも思う。
従軍慰安婦・・・・軍または日本政府は強制はなかったということだと。もちろんあれば望ましいということはあった。ただ強制が生活苦のために強制的にやらされたというのは真実であるが、問題は日本政府または軍が連れ去ったということにしてしまっているのである。「生活苦のため嫌だけどやりました。」とは自分の立場上言えないのである。都合の悪いこと、自国に不利なことは認めないため歴史の真相が不明になるのである。そのため、証言が二転三転と。しかし、最近慰安婦は財政的にも精神的にも恵まれていたという資料も出てきていることも事実である。
こんなふうに歴史の真相を複雑にしているのである。勝者に都合のいいように・・・。
倅が私の読みかけの本を見て言う。「また廃墟か」と。どちらかというと軽蔑したふうに。私は廃墟に興味がある。古くは、城跡、観光課されていない天守閣などなく、天守閣跡と小さな看板があるようなところがいい。鉄筋コンクリート作りのエレベータ付きの城などは興ざめする。また、近世の廃墟(その多くは昭和)には何とも言えない朽ちてゆく過程の美しさがある。かつては大勢の家族が来て楽しんだだろう遊園地、ホテル、工場、学校など。大きな夢の足跡とさえ感じることが出来る。
かつての夢の欠片がまだ少し残っているような美しさを感じる。人は変わった趣味だとおもうでしょうが・・。
かつての夢の欠片がまだ少し残っているような美しさを感じる。人は変わった趣味だとおもうでしょうが・・。
昨年に生まれた子の数が百数万人だという。これは1970年代のおよそ半分である。また3年前から人口そのものも減少したという。それまでは増加率が減少だったが。
このままいけば日本は小じんまりした小ない人口の国になってしまうが、それもいいかなとも思う。(税金・年金問題はともかく)ただ、大学は今後さらに存続が難しくなりそうである。確か大学定員は八十万人くらいだったと思うが。今後倒産する大学が100を超えるだろうと予測する人がいるが、それもまんざら誇張でもない気がする。
このままいけば日本は小じんまりした小ない人口の国になってしまうが、それもいいかなとも思う。(税金・年金問題はともかく)ただ、大学は今後さらに存続が難しくなりそうである。確か大学定員は八十万人くらいだったと思うが。今後倒産する大学が100を超えるだろうと予測する人がいるが、それもまんざら誇張でもない気がする。
人は運のいい人と悪い人がいる。最初に何処に生まれてきたかがすでに運である。親子数代働かなくてもいいくらいのお金持ちに生まれるのか、赤貧洗うがごとくの家にうまれるのか、はたまた雪国に生まれるのか、暑い地方か、都会か田舎かである。生まれてきたところで人生のほぼ半分が決まると言っても過言ではない。たとえば熱帯地方に生まれた人は、よほどの事がない限りスキー・スケートの選手になり世間で名をあげることもないだろう。
そして育った家の環境にもよる。物心がつき自分の環境に気づき努力をしたところですでに遅しということもある。
また、さほど努力もしていないのに推薦でそこそこの学校に入り、就職もそこそこということもある。反面かなり努力をしているのであるが肝心の試験に体調をくずし、よくない結果を出すこともある。本人がかなりの努力をしているのに誰も認めてくれないこともある。所謂「縁の下の力持ち」が評価されないことである。しかし、私はそういう人は好きである。これは自分がそうだからかもしれない。
必死に働いているのに平均より低い所得。他に評価されない待遇。ほとんどの人はこれである。要領よく生きている人は好きになれない。これは一種の彼我み根性だろうか?
そして育った家の環境にもよる。物心がつき自分の環境に気づき努力をしたところですでに遅しということもある。
また、さほど努力もしていないのに推薦でそこそこの学校に入り、就職もそこそこということもある。反面かなり努力をしているのであるが肝心の試験に体調をくずし、よくない結果を出すこともある。本人がかなりの努力をしているのに誰も認めてくれないこともある。所謂「縁の下の力持ち」が評価されないことである。しかし、私はそういう人は好きである。これは自分がそうだからかもしれない。
必死に働いているのに平均より低い所得。他に評価されない待遇。ほとんどの人はこれである。要領よく生きている人は好きになれない。これは一種の彼我み根性だろうか?
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