配偶者の身内にあたる者の話である。年齢は40歳くらいだろう、妻子(子は二人)の話である。真面目な男でとある工場に勤めていた。大手メーカーの子会社である。それがこのほど会社解散をしたという。そのためその年で職探しを始めるという。倒産ではなくて解散だから退職金はある程度出ていると思うが。それにしてもである。
マスコミでは景気はよくなったと言っている。これは何処を見ての判断だろうか?大手は下請け切り、派遣社員による人件費の削減ということでよくなっているという。これを良くなっていると言っていいのだろうか。
不況は真っ先に我々末端の労働者にやってくる。そして好況は最後にやってくる。そしてそのころには景気の後退が始まるの繰り返しである。
末端の景気がよくないのに、よくなったと発表するのはまるで戦前の大本営の様である。
真面目に末端で働く者が馬鹿を見るような世の中、なんとかならないのであろうか?
マスコミでは景気はよくなったと言っている。これは何処を見ての判断だろうか?大手は下請け切り、派遣社員による人件費の削減ということでよくなっているという。これを良くなっていると言っていいのだろうか。
不況は真っ先に我々末端の労働者にやってくる。そして好況は最後にやってくる。そしてそのころには景気の後退が始まるの繰り返しである。
末端の景気がよくないのに、よくなったと発表するのはまるで戦前の大本営の様である。
真面目に末端で働く者が馬鹿を見るような世の中、なんとかならないのであろうか?
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ある小学校で、イジメを見かねた女の子が「その子をいじめるのだったら私をイジメなさい。」と正義感たくましく仲裁に入ったという。その結果二人の子に暴力を振るわれたという。これこそ集団的自衛権にあたるのではないか。
その女の子の行動は非難されるべきことではなくむしろ称賛される行動である。しかし、この行為は当然危険が着きまどう。小さな事件かもしれないが、考えさせられる難しい選択である。
10年以上前から高校・大学の合格者の新聞発表は個人情報ということでされていない。これはこれで反論することもない。しかし、この時期新聞では高校野球児のレギュラー全員の氏名と出身中学まで完全に掲載されている。これはおかしいのではないか?なんでも野球なら例外を認めてしまうという体質は好きになれない。
学生時代に明智光秀が好きになり、ほぼライフワークのように光秀を追いかけていた時もあった。本屋さんから「光秀の子孫ですか?」ともいわれた。ちなみに光秀の直系の子孫はいないと思う。三宅弥平次(一般的に明智秀満、または光春と呼ばれる)の子孫は坂本竜馬である。(竜馬自身眉唾としているが)もちろん私は坂本竜馬の子孫でもない。
今回久しぶりに谷口研語著「明智光秀」を読み、続いて藤本正行著の「本能寺の変」を昨日から読み始める。読み始めてからすぐに気がつく。本能寺の変は1582年(天生10年)6月2日であり、これを新暦に直すと7月2日になるのである。すなわち私が読み始めた日はまさに「本能寺の変」があった日なのである。
もちろん偶然なんだろうが不思議な縁を感じる。
今回久しぶりに谷口研語著「明智光秀」を読み、続いて藤本正行著の「本能寺の変」を昨日から読み始める。読み始めてからすぐに気がつく。本能寺の変は1582年(天生10年)6月2日であり、これを新暦に直すと7月2日になるのである。すなわち私が読み始めた日はまさに「本能寺の変」があった日なのである。
もちろん偶然なんだろうが不思議な縁を感じる。
日本の教員(特に中学)の労働時間が世界的に見て、飛びぬけて多いという。しかしながら授業時間数は平均よりやや少ない。すなわち、課外活動、つまり部活動に多くの時間が割かれているのである。その原因は土・日曜日の部活動である。
ほとんどの人はスポーツに対しては不思議な感覚を持っている。スポーツを日曜日返上でやっていれば、「頑張っているいい人」と感じ、それを勉強時間にあてれば「青春のないネクラな人」というわけである。かつて土曜日が休みになった時、土曜日は「地域活動・ボランティアをするため」とされた。私の学習塾にも県から「土曜日は地域活動・ボランティアのため学校を休みとするため、土曜日には塾の授業を行わないように」という通達があった。なんのことはない、誰もボランティアはおろか地域活動なんてやっていない。そのほとんどが部活動に裂かれたのである。
スポーツをすることは悪いことではない。しかし、所謂それしかできない「スポーツバカ」(一部の人たちにはこれは誉め言葉にもなっている)というのもいることも事実である。彼らは勝つことだけを考える、すなわち他を押しのけ敗者にし自分が上位に立つことを私生活でも考え、所謂自分中心の我儘人間と化する。
せめて日曜日くらいは、各家庭で家族団欒の日にしてはどうだろうか?教員の労働時間も減り、その分、他への指導の時間が出来るのである。
一部の熱血指導者のため、多くの者が自分を犠牲にし、いやいや部活動を行い、敗者、あるいはレギュラーになれなかったという不快な人も存在するのである。
ほとんどの人はスポーツに対しては不思議な感覚を持っている。スポーツを日曜日返上でやっていれば、「頑張っているいい人」と感じ、それを勉強時間にあてれば「青春のないネクラな人」というわけである。かつて土曜日が休みになった時、土曜日は「地域活動・ボランティアをするため」とされた。私の学習塾にも県から「土曜日は地域活動・ボランティアのため学校を休みとするため、土曜日には塾の授業を行わないように」という通達があった。なんのことはない、誰もボランティアはおろか地域活動なんてやっていない。そのほとんどが部活動に裂かれたのである。
スポーツをすることは悪いことではない。しかし、所謂それしかできない「スポーツバカ」(一部の人たちにはこれは誉め言葉にもなっている)というのもいることも事実である。彼らは勝つことだけを考える、すなわち他を押しのけ敗者にし自分が上位に立つことを私生活でも考え、所謂自分中心の我儘人間と化する。
せめて日曜日くらいは、各家庭で家族団欒の日にしてはどうだろうか?教員の労働時間も減り、その分、他への指導の時間が出来るのである。
一部の熱血指導者のため、多くの者が自分を犠牲にし、いやいや部活動を行い、敗者、あるいはレギュラーになれなかったという不快な人も存在するのである。
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