この季節になると、新聞紙上は高校野球の記事が目に就く。私は高校野球に興味がないのでなぜあんなに人は熱狂するのかも理解できない。(このことはアメリカでも記事になったそうだ。ワールドリーグでもこれほどの熱狂はないらしい)特に、自分の出身校でもないのになであんなに熱狂するのだろうか?
作家司馬遼太郎氏が甲子園の決勝を出版社の人と行ったことがある。興味がない司馬さんは退屈のあまり「早くどちらかが負けて終わってしまえ。」と言ったらまわりから大顰蹙をかったそうである。興味がないものがあれを何時間も見ることはまるで拷問でもある。
先月のワールドカップ開催時に東京で街を歩く人たちにTV局の人がレポートした。「なぜ、あなたたちはワールドカップを見ないのか?」と。まるで見るのが当然のような言い方である。
世の中にはそういうことに興味がない人がいるのである。否むしろ数字的には興味のない人の方が多いのである。
それらを観戦するため、仕事・家族をほったらかしにしている男性諸君、いかがなもんかな?
作家司馬遼太郎氏が甲子園の決勝を出版社の人と行ったことがある。興味がない司馬さんは退屈のあまり「早くどちらかが負けて終わってしまえ。」と言ったらまわりから大顰蹙をかったそうである。興味がないものがあれを何時間も見ることはまるで拷問でもある。
先月のワールドカップ開催時に東京で街を歩く人たちにTV局の人がレポートした。「なぜ、あなたたちはワールドカップを見ないのか?」と。まるで見るのが当然のような言い方である。
世の中にはそういうことに興味がない人がいるのである。否むしろ数字的には興味のない人の方が多いのである。
それらを観戦するため、仕事・家族をほったらかしにしている男性諸君、いかがなもんかな?
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配偶者の身内にあたる者の話である。年齢は40歳くらいだろう、妻子(子は二人)の話である。真面目な男でとある工場に勤めていた。大手メーカーの子会社である。それがこのほど会社解散をしたという。そのためその年で職探しを始めるという。倒産ではなくて解散だから退職金はある程度出ていると思うが。それにしてもである。
マスコミでは景気はよくなったと言っている。これは何処を見ての判断だろうか?大手は下請け切り、派遣社員による人件費の削減ということでよくなっているという。これを良くなっていると言っていいのだろうか。
不況は真っ先に我々末端の労働者にやってくる。そして好況は最後にやってくる。そしてそのころには景気の後退が始まるの繰り返しである。
末端の景気がよくないのに、よくなったと発表するのはまるで戦前の大本営の様である。
真面目に末端で働く者が馬鹿を見るような世の中、なんとかならないのであろうか?
マスコミでは景気はよくなったと言っている。これは何処を見ての判断だろうか?大手は下請け切り、派遣社員による人件費の削減ということでよくなっているという。これを良くなっていると言っていいのだろうか。
不況は真っ先に我々末端の労働者にやってくる。そして好況は最後にやってくる。そしてそのころには景気の後退が始まるの繰り返しである。
末端の景気がよくないのに、よくなったと発表するのはまるで戦前の大本営の様である。
真面目に末端で働く者が馬鹿を見るような世の中、なんとかならないのであろうか?
ある小学校で、イジメを見かねた女の子が「その子をいじめるのだったら私をイジメなさい。」と正義感たくましく仲裁に入ったという。その結果二人の子に暴力を振るわれたという。これこそ集団的自衛権にあたるのではないか。
その女の子の行動は非難されるべきことではなくむしろ称賛される行動である。しかし、この行為は当然危険が着きまどう。小さな事件かもしれないが、考えさせられる難しい選択である。
10年以上前から高校・大学の合格者の新聞発表は個人情報ということでされていない。これはこれで反論することもない。しかし、この時期新聞では高校野球児のレギュラー全員の氏名と出身中学まで完全に掲載されている。これはおかしいのではないか?なんでも野球なら例外を認めてしまうという体質は好きになれない。
学生時代に明智光秀が好きになり、ほぼライフワークのように光秀を追いかけていた時もあった。本屋さんから「光秀の子孫ですか?」ともいわれた。ちなみに光秀の直系の子孫はいないと思う。三宅弥平次(一般的に明智秀満、または光春と呼ばれる)の子孫は坂本竜馬である。(竜馬自身眉唾としているが)もちろん私は坂本竜馬の子孫でもない。
今回久しぶりに谷口研語著「明智光秀」を読み、続いて藤本正行著の「本能寺の変」を昨日から読み始める。読み始めてからすぐに気がつく。本能寺の変は1582年(天生10年)6月2日であり、これを新暦に直すと7月2日になるのである。すなわち私が読み始めた日はまさに「本能寺の変」があった日なのである。
もちろん偶然なんだろうが不思議な縁を感じる。
今回久しぶりに谷口研語著「明智光秀」を読み、続いて藤本正行著の「本能寺の変」を昨日から読み始める。読み始めてからすぐに気がつく。本能寺の変は1582年(天生10年)6月2日であり、これを新暦に直すと7月2日になるのである。すなわち私が読み始めた日はまさに「本能寺の変」があった日なのである。
もちろん偶然なんだろうが不思議な縁を感じる。
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