日大医学部入試で、OBの子を優先に合格させていたという事実が発覚した。また、その他の私大医学部でも女子に不利、二浪以上に不利な条件を架していたということが騒がされている。
「何をいまさら」という感じである。私が受験生の時からそれらのことは公然の秘密であり、岩場受験生の常識であった。また、私立医大、歯科大ほ自分の子の入学を有利にするため、寄付金を納めていることも公然の秘密であった。
私立であることで、それはある程度許されることでもあるが・・・・。医学部という特殊な学部ゆえ問題視されるのであろうか。
地元の、公立の実業高校では公立であるが、入試点数より体育能力が多いに影響する。その極端さは激しいものである。また、市役所をはじめとする公務員もコネ採用がほとんどであり、教員でさえ、親が教員だったら採用されやすいのが現実である。
世の中、正直者が馬鹿を見るということが余りにも多い。何をいまさらである。
「何をいまさら」という感じである。私が受験生の時からそれらのことは公然の秘密であり、岩場受験生の常識であった。また、私立医大、歯科大ほ自分の子の入学を有利にするため、寄付金を納めていることも公然の秘密であった。
私立であることで、それはある程度許されることでもあるが・・・・。医学部という特殊な学部ゆえ問題視されるのであろうか。
地元の、公立の実業高校では公立であるが、入試点数より体育能力が多いに影響する。その極端さは激しいものである。また、市役所をはじめとする公務員もコネ採用がほとんどであり、教員でさえ、親が教員だったら採用されやすいのが現実である。
世の中、正直者が馬鹿を見るということが余りにも多い。何をいまさらである。
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今朝の新聞に、小川正洋氏(70歳)の死亡記事が出ていた。小川正洋と言われても、ほとんどの人はどんな人なのかは知らないだろう。
彼は、昭和45年の11月25日に市ヶ谷の自衛隊に立てこもり、割腹自殺した、所謂三島事件のメンバーである。懲役4年の服役後、議員の秘書をしたりして、所謂市井の人であった。
その彼が亡くなったのである。
三島が自決した11月25日は憂国忌とされているが、その憂国忌の翌日に亡くなったというのは、何かの縁であろうか?偶然とは思えないようなことである。
彼は、昭和45年の11月25日に市ヶ谷の自衛隊に立てこもり、割腹自殺した、所謂三島事件のメンバーである。懲役4年の服役後、議員の秘書をしたりして、所謂市井の人であった。
その彼が亡くなったのである。
三島が自決した11月25日は憂国忌とされているが、その憂国忌の翌日に亡くなったというのは、何かの縁であろうか?偶然とは思えないようなことである。
来年のゴールデンウィークは新天皇即位のため10連休になるらしい。すなわち正月休みより長くなるのである。こんなに長い休みは必要だろうか?政府筋に言わせれば、休みがあれば消費が増え、経済が活発になるというのだが。しかし、民間では10日間の休みがあっても給料は支払わなければならないのである。また、出来高制で働いている人は確実に収入が減るのである。それだけ休みがあっても収入に影響がないのは、まさに公務員だけとなるのである。また、サービス業はさらに休みが減じるのである。
資源のない日本はかつて、昭和の時代には勤勉さがだけが取り柄であった。いま国はその勤勉さも取り払おうとしているような気がする。休みは少ないからありがたいのである。
資源のない日本はかつて、昭和の時代には勤勉さがだけが取り柄であった。いま国はその勤勉さも取り払おうとしているような気がする。休みは少ないからありがたいのである。
高校時代に三島美学といわれるものに取りつかれたように、自分の「死」というものを考えてみたことがある。それはいかに生きるかと言うよりも、いかに死ぬのかというものであった。その後時々は考えてみたこともあったが、所帯を持ってからはいかに生きていくかを考えていた。それは自分としては進化だったと思う。しかし、親が亡くなったときから、死というものの恐怖感はなくなり、むしろ憧れの様なものになって来た時期もあった。
先だってのオウム事件の13人の死刑について、また改めて考えてみた。彼らは何年も前に死刑を宣告され、そしてある日突然に、体の状態は悪くもないのに、犯罪者として死につくのである。
彼らは、その時何を考えていたのであろうか?楽しかった青春時代か、犯罪を犯していた時の自分の姿か、それとも自分を死に追いやった世間に対する恨みか?
人は必ず死ぬ。そしてそのときはどんなことを感がえるのだろうか。自分の場合はどうだろうか?と思い、改めて命の大切さを確認するのである。
義兄の一周忌の法事の翌日にて
先だってのオウム事件の13人の死刑について、また改めて考えてみた。彼らは何年も前に死刑を宣告され、そしてある日突然に、体の状態は悪くもないのに、犯罪者として死につくのである。
彼らは、その時何を考えていたのであろうか?楽しかった青春時代か、犯罪を犯していた時の自分の姿か、それとも自分を死に追いやった世間に対する恨みか?
人は必ず死ぬ。そしてそのときはどんなことを感がえるのだろうか。自分の場合はどうだろうか?と思い、改めて命の大切さを確認するのである。
義兄の一周忌の法事の翌日にて
秋の運動会酣である。運動会と言えば、どうしても連想するのはみかんである。私の小・中学校時代は昼の弁当は、海苔巻きと稲荷寿司(当時は巾着寿司と言った)が定番であり、旨く行けば梨かリンゴが付く程度であった。しかし、クラスの中の所謂ハイカラな子、すなわち裕福な家庭の子はみかんを持ってきていた。この季節ゆえ、真っ青なみかんである。私はあれが食べてみたかったが、親にねだるのは身分相応でないような気がして遠慮していたものである。自分の子供の運動会にはぜひともこのみかんをとも思ったが、これもなんとなく遠慮していたこともある。言わばこの青いみかんは私のコンプレックスのようなものであった。
それが昨日、倅が青いみかんを袋詰めで購入してきた。なんだか不思議な感じがしたものである。何十年前にほしかった物が目の前にあるのである。これも時代の流れか。
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