百田尚樹の大放言を読んだ。痛快である。政治家、タレント、文化人の言葉尻をとらえ、本文を掲載しないマスコミ、本音を言ったら叩かれる政治家。
この国の政治家、教育者は本音を吐かない。もし吐いたら、その言葉尻を捕え拡大解釈して非難することがオチである。そのため、彼らはありもしないでっち上げ事件まで、自虐的に反省をさせられる。そのため、教育者と呼ばれる方の当たり障りのない意見、内容をぼかした意見、対処をしないようにすることが正しいように認識される。これは本当にいいことだろうか?医者は病気を治すため時には外科的な処置もする。当たり障りのない治療ではさらに悪化させるからである。
教育・政治のなかにも時として手術は必要な時はあるのである。
この国の政治家、教育者は本音を吐かない。もし吐いたら、その言葉尻を捕え拡大解釈して非難することがオチである。そのため、彼らはありもしないでっち上げ事件まで、自虐的に反省をさせられる。そのため、教育者と呼ばれる方の当たり障りのない意見、内容をぼかした意見、対処をしないようにすることが正しいように認識される。これは本当にいいことだろうか?医者は病気を治すため時には外科的な処置もする。当たり障りのない治療ではさらに悪化させるからである。
教育・政治のなかにも時として手術は必要な時はあるのである。
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先月、ノーベル医学賞が大村智教授に与えられることに決まった。すごいことである。彼は微生物からメベルメクチンという医薬品を創りだし、オンコアルカ症、リンパ系フィラリア症などの患者、またはその感染を救った。そして救われた人は年間3億人以上にも上る。そして、その報酬として250億円の利益を得た。さらに、彼ののすごいところはそのお金をさらに次の研究、また地元にも還元していることである。
この250億円という数字である。たしかにすごい金額であり、我々庶民には想像がつかない。しかし、考えてみれば、年間3億人の命、または失明からすくったのである。仮にその数10億人としよう(もっと多いと思うが)一人当たりの命、または健康の金額は250円なのである。そう考えるとなんと少ない金額なんだろう!
野球選手で年数億を稼ぐ人のホームラン一本分と比較すれは、人の命、健康はホームラン一本分の何分の1になるのだろう。ホームラン打てばその場は盛り上がるだろうが、命が救われることはない。
健康はカネで買えない、命はカネに換算出来ないというが・・・・。
こう考えれば、250億円は少なすぎると思うが・・・・・・・。
この250億円という数字である。たしかにすごい金額であり、我々庶民には想像がつかない。しかし、考えてみれば、年間3億人の命、または失明からすくったのである。仮にその数10億人としよう(もっと多いと思うが)一人当たりの命、または健康の金額は250円なのである。そう考えるとなんと少ない金額なんだろう!
野球選手で年数億を稼ぐ人のホームラン一本分と比較すれは、人の命、健康はホームラン一本分の何分の1になるのだろう。ホームラン打てばその場は盛り上がるだろうが、命が救われることはない。
健康はカネで買えない、命はカネに換算出来ないというが・・・・。
こう考えれば、250億円は少なすぎると思うが・・・・・・・。
名古屋市内の中1生が部活と学校のイジメを苦に、自ら命を断った。残念なことである。いつも言うが行きすぎた部活指導の犠牲者である。
ここで、ふと自分の親父のこと思い出した。
親父が小学生のことである。同じクラスの子と喧嘩をしたそうである。(これがイジメなのかはわからないが)そうしたら、相手の子が中学生の兄に言いつけ、小学生だった親父は、中学生にボコボコにされたそうである。これは明らかにイジメになる。それで次の日に教室で同級生の相手に向かって「お前兄貴に言いつけただろう!」と言い、教室の隅まで押しのけ、掃除時に使う箒の柄でサンザンなぐりつけたという。そして今度こんなことがあったら、もっとやるからな!と念をおしたという。その結果、その相手はおとなしくなり、喧嘩も無くなったという。
私は親父からその話を聞き「親父もやるわい。」と思ったのだが。その後親父はポツリと言う。
「そいつな、海軍し志願してすぐ戦死してしまった。」
そこには、相手に対する憎しみは感じず、むしろ哀愁さえあった。
今回のことでも窮鼠猫を噛むこともあっていいのではないだろうか?「暴力はいけない」とノタマウ輩ばかりだが、少なくとも一人で恨んで死んでいくことよりもマシである。
時には大発散することもある程度は、認めたい。その前に行きすぎた部活指導を考えるべきであり、スポーツはプレイであることを徹底させるべきである。特に勝敗にこだわる体育系の先生へ告げたい。
ここで、ふと自分の親父のこと思い出した。
親父が小学生のことである。同じクラスの子と喧嘩をしたそうである。(これがイジメなのかはわからないが)そうしたら、相手の子が中学生の兄に言いつけ、小学生だった親父は、中学生にボコボコにされたそうである。これは明らかにイジメになる。それで次の日に教室で同級生の相手に向かって「お前兄貴に言いつけただろう!」と言い、教室の隅まで押しのけ、掃除時に使う箒の柄でサンザンなぐりつけたという。そして今度こんなことがあったら、もっとやるからな!と念をおしたという。その結果、その相手はおとなしくなり、喧嘩も無くなったという。
私は親父からその話を聞き「親父もやるわい。」と思ったのだが。その後親父はポツリと言う。
「そいつな、海軍し志願してすぐ戦死してしまった。」
そこには、相手に対する憎しみは感じず、むしろ哀愁さえあった。
今回のことでも窮鼠猫を噛むこともあっていいのではないだろうか?「暴力はいけない」とノタマウ輩ばかりだが、少なくとも一人で恨んで死んでいくことよりもマシである。
時には大発散することもある程度は、認めたい。その前に行きすぎた部活指導を考えるべきであり、スポーツはプレイであることを徹底させるべきである。特に勝敗にこだわる体育系の先生へ告げたい。
今朝のことである。作業場で作業をしていたら足元をチョロチョロと動き回るもの、ほんとうにチョロチョロとしか言いようがないものがいた。ゴキブリか?と思いよく見れば、なんと可愛い3~4センチくらいの小さなねずみ。まあいいかとそのままにしていたら、私の作業をしているところをじっと見ている。声をかけたらまわれ右で逃げる。と言ってもあまり速くない速度。しばらくして、私の目の前を横切り隅の方へ。
「おい!ねずみ君、悪さしなければずっとここにいていいよ!」
思わず、声掛け。小動物はねずみであっても可愛いものである。
「おい!ねずみ君、悪さしなければずっとここにいていいよ!」
思わず、声掛け。小動物はねずみであっても可愛いものである。
我が市のゴミ袋が来年度から値上げされるという。一般ゴミ袋50円、燃えないゴミ袋100円になるという、10倍の値段になるのである。ただ、50円、100円という金額は家計を圧迫するような金額ではない。市のほうとしては増え続けるゴミを少しでも減らす方針という。その方針自体悪くもなく、むしろ賛成である。
しかし、気分的に「ゴミを捨てるときはカネがかかる」のである。そのためちょっとした買い物を差し控え(今現在もそうである、観光地のお土産屋さんの小物の売れ行きが良くないらしい)、すなわち必要なくなったら捨てるような安価な小物のの購入の差し控え。もちろんある程度高価な者もいずれゴミになるのであるから買い控えが予想される。すなわち経済流通の減少である。数年前のゴミ有料化に関しても不景気の始まりとなった。私自身は物を買うことを差し控えることは大いに賛成であるが、不景気化は免れない。今の景気は不必要なものを購入・廃棄の繰り返しなのでそれも反省するべきだと思うが、購買力が落ちるのは必然である。
また、ゴミの不法投棄もこれからさらに増えることも予想されるのである。
「足るを知る」景気が悪くなろうが、私はこれで生活してきたい。しかたなし・・・。
しかし、気分的に「ゴミを捨てるときはカネがかかる」のである。そのためちょっとした買い物を差し控え(今現在もそうである、観光地のお土産屋さんの小物の売れ行きが良くないらしい)、すなわち必要なくなったら捨てるような安価な小物のの購入の差し控え。もちろんある程度高価な者もいずれゴミになるのであるから買い控えが予想される。すなわち経済流通の減少である。数年前のゴミ有料化に関しても不景気の始まりとなった。私自身は物を買うことを差し控えることは大いに賛成であるが、不景気化は免れない。今の景気は不必要なものを購入・廃棄の繰り返しなのでそれも反省するべきだと思うが、購買力が落ちるのは必然である。
また、ゴミの不法投棄もこれからさらに増えることも予想されるのである。
「足るを知る」景気が悪くなろうが、私はこれで生活してきたい。しかたなし・・・。
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