ドリームジャンボ宝くじを購入。バラ・連番各10枚づつ、計6000円なり。1等は五億円、1000万分の1の確率。まあ当たるわけないか!しかし、この収益金の一部が、熊本地震への被災地支援に役立てられるという。それならはずれたとしても納得。私の買った分の収益金がいくらになるのか解らないが、たとえ100円くらいでも役に立てば購入した意味がある。
ほんの少しのお恥ずかしいような自己満足。
ほんの少しのお恥ずかしいような自己満足。
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先祖代々日本の片田舎に住んでいて、当たり前であるが私は紛れもない日本人である。そして、今回の熊本の地震が予想が出来ないくらい起こり、被害も甚大である。私には何も出来ないが気の毒限りない。
そんな中で、中国では、熊本地震を祝福セールを行った店があるという。ひどい話であり、人間性を疑う。以前の東北の震災の時もそうだったが、サッカーの試合で、「震災おめでとう」と書いた横断幕を中国人サポーターはあげていた。(NHKはこの横断幕を映さないように苦労してテレビ放映をしたという)それに対して、日本人はネットの中では個人レベルで非難していることが現実である。
しかし、これが逆だったらどうだろうか。おそらく政府レベルで苦情がくるだろう。少なくとも、我々日本人は、災害で苦しんでいる人たちがどこの国の人であろうと、揶揄することはないだろう。そう確信している、小日本人の私である。
そんな中で、中国では、熊本地震を祝福セールを行った店があるという。ひどい話であり、人間性を疑う。以前の東北の震災の時もそうだったが、サッカーの試合で、「震災おめでとう」と書いた横断幕を中国人サポーターはあげていた。(NHKはこの横断幕を映さないように苦労してテレビ放映をしたという)それに対して、日本人はネットの中では個人レベルで非難していることが現実である。
しかし、これが逆だったらどうだろうか。おそらく政府レベルで苦情がくるだろう。少なくとも、我々日本人は、災害で苦しんでいる人たちがどこの国の人であろうと、揶揄することはないだろう。そう確信している、小日本人の私である。
昨日、「司馬遼太郎の言葉2」で熊本城の写真を見ていた。熊本城は死ぬまでに一度は訪れたいところである。その石垣は素晴らしく、天守にマッチしている。城好きな私は、いろんな想像を交えながら雑誌のページをめくっていた。
ところが,その晩、熊本地震。今朝の朝刊には熊本城の崩れた石垣の写真。崩れたのはどっちだ?
清正公の造った石垣か?それとも江戸時代に細川氏が造った石垣か?新聞にはそれは掲載されていない。清正公の造った方でないことを期待している。いずれ見に行きたいから。
被害にあった方には申し訳ないが、こんなことを思う愚かな私である。
ところが,その晩、熊本地震。今朝の朝刊には熊本城の崩れた石垣の写真。崩れたのはどっちだ?
清正公の造った石垣か?それとも江戸時代に細川氏が造った石垣か?新聞にはそれは掲載されていない。清正公の造った方でないことを期待している。いずれ見に行きたいから。
被害にあった方には申し訳ないが、こんなことを思う愚かな私である。
新田次郎の「武田信玄」「武田勝頼」を一気に読んだ。「信玄」は4冊、「勝頼」3冊、それぞれ500ページを超える大作である。信玄は2度目、勝頼は3度目を読むことになった。
改めて、神格化された信玄、人間である勝頼を感ずる。信玄は、領土拡張するため親・子とも容赦しないまさに戦国武将の代表のようなものである。それに反し勝頼はむしろ現代人の感覚を持っている。人を疑うことなく、部下の意見を取り入れる、民主的な好感のもてる人である。しかし、結局は大勢の人に裏切られ哀れな末路となる。勝頼は何も悪くなく、ただ人を信じたいための行動をするのだが、結局その人の良さが命取りになる、いわば悲劇の武将である。現代に生きていたら
間違いなく「いい人」である。真面目すぎたため戦国を生き抜くことができなかったいい人である。
読んでいくにつれ、勝頼の人の良さ、穴山梅雪の陰険さ、真田昌幸の真面目さが感じられる作品である。まさに「人」を表わす作品である。
改めて、神格化された信玄、人間である勝頼を感ずる。信玄は、領土拡張するため親・子とも容赦しないまさに戦国武将の代表のようなものである。それに反し勝頼はむしろ現代人の感覚を持っている。人を疑うことなく、部下の意見を取り入れる、民主的な好感のもてる人である。しかし、結局は大勢の人に裏切られ哀れな末路となる。勝頼は何も悪くなく、ただ人を信じたいための行動をするのだが、結局その人の良さが命取りになる、いわば悲劇の武将である。現代に生きていたら
間違いなく「いい人」である。真面目すぎたため戦国を生き抜くことができなかったいい人である。
読んでいくにつれ、勝頼の人の良さ、穴山梅雪の陰険さ、真田昌幸の真面目さが感じられる作品である。まさに「人」を表わす作品である。
年度替りである。毎年3月末から、新聞の企業・役所の人事の欄に同級生が出世に、「あいつが部長になったか。」「彼が専務になったか。」等、出世に関係のない自分が感心していたのだが、今年は違う。退職の欄に同級生が多く掲載されていたのである。定年である。それを見るたび淋しく思う日々であった。
そして、新年度が始まる。
追伸
4月1日と言えば、シューベルツの井上博さんが亡くなった日でもある。最初はエイプリ―ル・フールと言われていたのだが、真実であった。こんなことを思い出す人なんていないだろうな>
そして、新年度が始まる。
追伸
4月1日と言えば、シューベルツの井上博さんが亡くなった日でもある。最初はエイプリ―ル・フールと言われていたのだが、真実であった。こんなことを思い出す人なんていないだろうな>
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