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 昨日は、午前中は暖かいいい天気、我が愛車のタイヤをスタットレスから普通タイヤに替えました。しかし、午後から急に寒くなり、天気予報では明日は雪50%という。まさかと思っていたら、朝は雪。車の上に積もっていました。道はないです、凍結もなし。車の運転は大丈夫。
 3月、半ばでも雪は降るのですね。
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 短期間ですが数学と化学を教えていた子から大学合格の連絡がありました。ある私立の薬学部。彼の父親もその大学のOB。「お父さん、喜んだろう?」と聞けば「あんまり喜んでいない。」との返事。せっかく合格したのに何だろうと疑問。しかし、その晩ふと思った。薬学部は6年間である。しかも私立、初年度納入金が250万位、次年度から200万位、また親元から離れて暮らすため月々の仕送り。総額2000万近くなる。合格は嬉しいけれど・・・である。
 もちろん父親があまり喜ばなかったのはそれが原因ではないかもしれないが、それにしても・・・である。
我が愚息は国立の歯学部卒。我が家の経済状況では絶対私立は不可能。医・歯系の私立は6年間で1億円を超えるという。
 我が家はもう終わったからいいが、これなんとかならないでしょうかね?
 本日は、市内の中学校の卒業式。
 卒業式と言えば、私は大学の卒業式を思い出す。小・中・高は進路がまだ決まっていない不安さと、寒さ、トイレを我慢していた位であまり思いはない。特に小学校から高校まで市内の学校だったので、別れという感覚は少なかった。しかし大学は多いに感傷的になった。私の通っていた大学は横浜市内の丘の上にある、通学途中その丘を登るとマリンタワーが見えた。いつも見ている風景なのだが、この日ばかりは、もう見納め、これが最後と思うと途端に目頭が熱くなった。青春の別れの様な気がしたものである。
 卒業後、しばらく東京に勤めていたため、一度だけ行ったことがあり、また近くを通ったことも一度だけである。卒業以来一度も会うことなく年賀状だけの付き合いになってしまった友人もいる。本当の別れがあった。
 我が家の庭にある、毎日見ている灯篭だが、本日その灯篭を見て、50年近い昔のことを思いだした。まったく記憶の外にある内容だが、何十年ぶりに思い出すこともあるのですね。
 その内容ですが、実家の近くには新明神社がある、もちろん今もあり正月にはまず最初にお参りすることにしている。私たちはそこが遊び場だった。当時小学低学年。夕暮れになりうす暗くなると、おばあさんが一人やってくる。そして灯篭にろうそくを立て、火をつけ本殿にお参りするのである。そして私たちに「もう遅いから帰りなさいよ」と言い帰って行かれる。私たちはそのおばあさんに会いたくて、うす暗くなるまで帰らなかったものである。そしてそのおばあさんが声をかけてくれれば素直に家に帰ったものである。子供心になんとなくホッとしていた。そして来ない日は後ろ髪を引かれる思いで夕方帰った。
 神社は宗教の場であるが私たち子供は最高の遊び場だった。戦争ごっこ、チャンバラ、木のぼり、今は埋め立て公園になってしまっている沼地での魚とり。懐かしい、許されるならもう一度遊んでみたい場所である。また狛犬の上に乗り得意げにいることも偉くなったようで最高だった。ちなみに自分に子供が出来たときにその狛犬の上に乗せることが夢だった。一度だけ叱られなしないかとおどおどして乗せたのだが、わが息子は覚えているだろうか?
 孫が出来たら灯篭に火をつけ神社で遊びたいとも思っている。
 久しぶりに我が塾に入塾生。以前の塾はなでやめたのかと聞くと、前の塾は勉強が出来ない子に怒鳴り散らし、棒でたたいたりしていたという。その中で自分は叱られないけれど、そんな雰囲気がいやだったという。
 これについて私も思い当たることがある。
私は団体競技が嫌いである。もちろん苦手でもあるが。その理由として第一に挙げられるのが(といってもそれしかないが)エラーなどしたとき怒鳴ることである。そして、ののしり、自分が優越感を持っている人に対して、全く信頼感が湧かないのである。怒鳴られた方は不快さ、そして憎しみしか湧かないのではないだろうか。スポーツで先輩・後輩と礼儀を教えることは否定しないが、後輩を手下の様に扱うことは許されることではない。
 私が、2つ目に勤めた会社は事務所ないで上司がいつも怒鳴り散らしていた、所謂体育系の会社だった。入社一日目に、部長が常務に怒鳴られていることを体験したとき、「えらい会社に入ってしまった!」と思ったもんである。また、一体部長は何をしてあんなに怒られているのだろう?とも思ったりしました。その後わかったことですが、理由は営業成績が悪いとの理由。決して部長が悪いのでhないのです。(仮に悪いとしてもこれは行きすぎだ)ちなみに新米の私は電話を取れば怒鳴られ、営業所に行けば嫌味を言われ、まったく手腕をは発揮することもできなかったものである。(上司の遠慮で)
 そして、何よりも私が恐れたことは、自分も会社に染まり、そのような人間になることが耐えられなかったことです。結局4年半在職しましたが、自分としては何も得ることもなく、中途入社のためか友達も出来なかったこととなった。
 その後。学習塾の会社に入り、大いに楽しく、自分としても遠慮なく仕事をしました。友達もでき自分で学習塾を開いた今でも大切な友人としていろいろ相談にも乗ってくれます。この付き合いで怒鳴ったり、怒鳴られたいしたことは一度もありません。本当にいい方ばかりです。
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