仕事の出入り業者がいつもと違う人が来た。聞くところによるといつもの人は事故を起こし怪我で休みという。その代わりに来たのだが、その人普段ははパソコンの接続のようなPCのソフト面の仕事をしているという。ところがスマホの出現により急激に仕事が減ったという。パソコンの修理でも「○○円くらいかかります」と言えば、相手は「それじゃ買い換える」となり修理することが少ないという。「私たちの仕事はスマホが出たことで終わったんです。」という言葉。確かにメールはスマホでなくとも携帯で十分だし、ブログでもスマホで出来、面倒な接続など不要である。
せっかくの知識がすでに古くなっているのである。
そういえば、携帯電話の出現前にはポケベルがあったのだが、今は一部の病院で使用されているだけであり、ポケベルの会社ももうずいぶん前に解散している。ワープロも今は製造していない。レーザーディスクなんてものは完全に普及する前にDVDの出現にて消えてしまった。
年寄りの私には理解できないままに時は過ぎていくことである。
せっかくの知識がすでに古くなっているのである。
そういえば、携帯電話の出現前にはポケベルがあったのだが、今は一部の病院で使用されているだけであり、ポケベルの会社ももうずいぶん前に解散している。ワープロも今は製造していない。レーザーディスクなんてものは完全に普及する前にDVDの出現にて消えてしまった。
年寄りの私には理解できないままに時は過ぎていくことである。
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世の中には、運のいい人と悪い人がいる。一所懸命にやっているのにだれにも認められずに世を済ます人。さあこれからだという時に事故、病気になる人。まじめにやっているのに裏切られる人。半面、学生時代から勉強もせずに、多少スポーツができるからということで推薦で、結構いい高校・大学と進学。学力が低くても、入社試験なしのコネ入社。とくに地方の公務員などは甚だしい。そして、公務員であるがゆえ順調に昇給、あまり仕事もせずに高給取り。
反面、コネもなく努力の成果で入社、コネ同期に差をつけられ、挙句に上の人の放漫経営でリストラされる人。
こういった事例を見たり、経験すると「俺は一所懸命にやってきたのは何だったのだろうか?」と思ってしまうのである。
要領の悪い人のぼやきである。
反面、コネもなく努力の成果で入社、コネ同期に差をつけられ、挙句に上の人の放漫経営でリストラされる人。
こういった事例を見たり、経験すると「俺は一所懸命にやってきたのは何だったのだろうか?」と思ってしまうのである。
要領の悪い人のぼやきである。
所用で郵便局へ行く途中、近くの川のそばに子供用の自転車が数台あった。何だろうと思い、川を見ると、小学生くらいの子供たちが網で魚を取っていた。この川、私が小さい頃は田の中を流れ、魚も多くいて、絶好の遊び場であった。それがいつの間にかフェンスで囲まれ、川床はコンクリートになり、今日の子供たちはそこで魚を取っているのである。今日日子供たちが川で魚を取って遊ぶことは珍しく、なかなかいいもんだなとの気持ちで眺めた。
さて、子供のころの遊びといえば、魚取り、戦争ごっこ、チャンバラごっこ、空き地で野球であった。それが現在は、高価なゲーム、一式そろえるだけでも大変な野球やサッカー。貧乏な家にはまねのできないくらい。そしてそのなかでのレギュラーをとるための陰湿なイジメ。
昔のおおらかな、想像力たくましい遊び・・・・・。楽しかったな!
さて、子供のころの遊びといえば、魚取り、戦争ごっこ、チャンバラごっこ、空き地で野球であった。それが現在は、高価なゲーム、一式そろえるだけでも大変な野球やサッカー。貧乏な家にはまねのできないくらい。そしてそのなかでのレギュラーをとるための陰湿なイジメ。
昔のおおらかな、想像力たくましい遊び・・・・・。楽しかったな!
刀剣の砥師の方が、仕事が減り、やむなく家屋解体現場で働いているということを同業の砥師の方から聞いた。よく伝統地場産業は後継者不足で廃れてしまうことを危惧するような記事が新聞・雑誌等に掲載されているが、それはあたかも若い人が地味な仕事に就かないためのように記載さえているが実態は前述のようなものである。この仕事に就きたい、この仕事を地元でやっていきたいと思う若者は決して少なくない。問題は、せっかく長年で身に付けたスキルがあるのだが、それだけでは生活ができないような仕事の少なさなのである。
仕事する以上どうしても生活の糧を得ることは必要なのである。
そんなことを思っていたら、会社を経営している友人から、電話があり、景気の悪さを嘆いていた。アベノミクス大手企業が有利、または対外的に優越感に浸るような政策であり、末端には目を向けてくれず、株価が上がったと声高に叫んでいる。
確かに、末端の弱者にも目を向けてほしいものである。・・・・小市民の届かないぼやき
仕事する以上どうしても生活の糧を得ることは必要なのである。
そんなことを思っていたら、会社を経営している友人から、電話があり、景気の悪さを嘆いていた。アベノミクス大手企業が有利、または対外的に優越感に浸るような政策であり、末端には目を向けてくれず、株価が上がったと声高に叫んでいる。
確かに、末端の弱者にも目を向けてほしいものである。・・・・小市民の届かないぼやき
昨日、高校時代の部活動の一年先輩にあたる方から、電話があった。電話の内容は別件で極めて事務的な話であるが、高校時代の話のほうが多くなり、会話をすることも高校以来ということで懐かしくもあった。
彼は私の地元の小学校の校長先生をしており、今月で定年退職だという。私にとってみれば、高校時代の若若き姿しか印象にないため定年という実感が湧かなかった。
さて定年とな何だろう?定年がない自営業者には縁のないことだが、職場でトップを執っていた人が、明日からは「歳よりだから不要」ということで退職することではないだろうか?よくいう仕事一筋に生きてきた人(ほとんどのお父さんはそうであろうが)が、翌日には失職するのである。こんな淋しいこともないのではないか。「老兵は去るのみ」ということである。
反面、自営業者には羨ましいこと限りないが、何千万の退職金をもらいのである。退職した人は大金を手に入れた喜びと、社会から退いた淋しさ、どちらに天秤が傾くのだろうか?
ちなみみ私の友人は退職金が百万円だったという。そのため定年になってもアルバイト生活を余儀なくされている。官民の各差でもあろうが、これも限りなく淋しい話である。
彼は私の地元の小学校の校長先生をしており、今月で定年退職だという。私にとってみれば、高校時代の若若き姿しか印象にないため定年という実感が湧かなかった。
さて定年とな何だろう?定年がない自営業者には縁のないことだが、職場でトップを執っていた人が、明日からは「歳よりだから不要」ということで退職することではないだろうか?よくいう仕事一筋に生きてきた人(ほとんどのお父さんはそうであろうが)が、翌日には失職するのである。こんな淋しいこともないのではないか。「老兵は去るのみ」ということである。
反面、自営業者には羨ましいこと限りないが、何千万の退職金をもらいのである。退職した人は大金を手に入れた喜びと、社会から退いた淋しさ、どちらに天秤が傾くのだろうか?
ちなみみ私の友人は退職金が百万円だったという。そのため定年になってもアルバイト生活を余儀なくされている。官民の各差でもあろうが、これも限りなく淋しい話である。
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