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所用で郵便局へ行く途中、近くの川のそばに子供用の自転車が数台あった。何だろうと思い、川を見ると、小学生くらいの子供たちが網で魚を取っていた。この川、私が小さい頃は田の中を流れ、魚も多くいて、絶好の遊び場であった。それがいつの間にかフェンスで囲まれ、川床はコンクリートになり、今日の子供たちはそこで魚を取っているのである。今日日子供たちが川で魚を取って遊ぶことは珍しく、なかなかいいもんだなとの気持ちで眺めた。
 さて、子供のころの遊びといえば、魚取り、戦争ごっこ、チャンバラごっこ、空き地で野球であった。それが現在は、高価なゲーム、一式そろえるだけでも大変な野球やサッカー。貧乏な家にはまねのできないくらい。そしてそのなかでのレギュラーをとるための陰湿なイジメ。
 昔のおおらかな、想像力たくましい遊び・・・・・。楽しかったな!
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刀剣の砥師の方が、仕事が減り、やむなく家屋解体現場で働いているということを同業の砥師の方から聞いた。よく伝統地場産業は後継者不足で廃れてしまうことを危惧するような記事が新聞・雑誌等に掲載されているが、それはあたかも若い人が地味な仕事に就かないためのように記載さえているが実態は前述のようなものである。この仕事に就きたい、この仕事を地元でやっていきたいと思う若者は決して少なくない。問題は、せっかく長年で身に付けたスキルがあるのだが、それだけでは生活ができないような仕事の少なさなのである。
 仕事する以上どうしても生活の糧を得ることは必要なのである。
 そんなことを思っていたら、会社を経営している友人から、電話があり、景気の悪さを嘆いていた。アベノミクス大手企業が有利、または対外的に優越感に浸るような政策であり、末端には目を向けてくれず、株価が上がったと声高に叫んでいる。
 確かに、末端の弱者にも目を向けてほしいものである。・・・・小市民の届かないぼやき
昨日、高校時代の部活動の一年先輩にあたる方から、電話があった。電話の内容は別件で極めて事務的な話であるが、高校時代の話のほうが多くなり、会話をすることも高校以来ということで懐かしくもあった。
 彼は私の地元の小学校の校長先生をしており、今月で定年退職だという。私にとってみれば、高校時代の若若き姿しか印象にないため定年という実感が湧かなかった。
 さて定年とな何だろう?定年がない自営業者には縁のないことだが、職場でトップを執っていた人が、明日からは「歳よりだから不要」ということで退職することではないだろうか?よくいう仕事一筋に生きてきた人(ほとんどのお父さんはそうであろうが)が、翌日には失職するのである。こんな淋しいこともないのではないか。「老兵は去るのみ」ということである。
 反面、自営業者には羨ましいこと限りないが、何千万の退職金をもらいのである。退職した人は大金を手に入れた喜びと、社会から退いた淋しさ、どちらに天秤が傾くのだろうか?
 ちなみみ私の友人は退職金が百万円だったという。そのため定年になってもアルバイト生活を余儀なくされている。官民の各差でもあろうが、これも限りなく淋しい話である。
鈴鹿市に鈴鹿国際大学というのがある。この大学が来年度から「国際」の名をはずし、「鈴鹿大学」と校名を変更するという。イメージをかえることによる学生獲得の政策である。
 大学名、または学部・学科名は私が受験したころとくらべると何を勉強するのか理解ができない名が多い。(大学名ほともかく、とくに科名、コース名など横文字になるとなんのことやら)
新興大学の名前について。私が受験するときは「国際」と名付けることが一種の流行りであった。私の近くにも「国際」の言葉が入った学校ができているが、今は国際の名は付いていない。「国際」の名をつけるとイメージ的に、キャンパスは金髪の外人さんが闊歩し華やかなかっこよさがあるようであり、それが受験生を増やすという戦略にもなっていた。それはいわゆるブームであり、学部・学科名にもその名称をつけていたものである。 
 それが、一段落すると、新規大学の名前には「○○学院大学」という、中には既存の大学名に「学院」の文字をつけただけのような大学もあった。○○大学より、○○学院大学のほうがなんとなく武骨さがなくなり、上品さが感じられるものである。 
 そして、平成になると、「福祉」と名付けられた学部・科名が増え、数年前から「医療」という言葉が大学関係者のなかでブームとなるのである。
 社会の変節に従って、求める人、学問が変わっていくことは仕方がないが、それにしても少々安易な気がしないでもない。
自民党の三原じゅん子議員が国会で「八紘一宇」という言葉を用いて世界の平和について述べたという。この言葉はもともと戦中の日本のスローガンであり、アジア諸国はすべて皇民のとなり、家族のように平和に過ごすという願いが込められている。今回三原議員はもちろん皇の字は外し、世界がすべて家族のようにという意味で発言したものである。
 若い三原議員(といっても50歳)がこの言葉を使用したことが、なんとなく嬉しい。三原じゅん子といえばタレント議員であり、ただの人気取りの客寄せパンダではなく、それなりに勉強をしていることが感じられる。おそらくもっと年長の議員でもこの言葉を知らなかった方もいるだろうに。
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