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昨日、高校時代の部活動の一年先輩にあたる方から、電話があった。電話の内容は別件で極めて事務的な話であるが、高校時代の話のほうが多くなり、会話をすることも高校以来ということで懐かしくもあった。
 彼は私の地元の小学校の校長先生をしており、今月で定年退職だという。私にとってみれば、高校時代の若若き姿しか印象にないため定年という実感が湧かなかった。
 さて定年とな何だろう?定年がない自営業者には縁のないことだが、職場でトップを執っていた人が、明日からは「歳よりだから不要」ということで退職することではないだろうか?よくいう仕事一筋に生きてきた人(ほとんどのお父さんはそうであろうが)が、翌日には失職するのである。こんな淋しいこともないのではないか。「老兵は去るのみ」ということである。
 反面、自営業者には羨ましいこと限りないが、何千万の退職金をもらいのである。退職した人は大金を手に入れた喜びと、社会から退いた淋しさ、どちらに天秤が傾くのだろうか?
 ちなみみ私の友人は退職金が百万円だったという。そのため定年になってもアルバイト生活を余儀なくされている。官民の各差でもあろうが、これも限りなく淋しい話である。
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鈴鹿市に鈴鹿国際大学というのがある。この大学が来年度から「国際」の名をはずし、「鈴鹿大学」と校名を変更するという。イメージをかえることによる学生獲得の政策である。
 大学名、または学部・学科名は私が受験したころとくらべると何を勉強するのか理解ができない名が多い。(大学名ほともかく、とくに科名、コース名など横文字になるとなんのことやら)
新興大学の名前について。私が受験するときは「国際」と名付けることが一種の流行りであった。私の近くにも「国際」の言葉が入った学校ができているが、今は国際の名は付いていない。「国際」の名をつけるとイメージ的に、キャンパスは金髪の外人さんが闊歩し華やかなかっこよさがあるようであり、それが受験生を増やすという戦略にもなっていた。それはいわゆるブームであり、学部・学科名にもその名称をつけていたものである。 
 それが、一段落すると、新規大学の名前には「○○学院大学」という、中には既存の大学名に「学院」の文字をつけただけのような大学もあった。○○大学より、○○学院大学のほうがなんとなく武骨さがなくなり、上品さが感じられるものである。 
 そして、平成になると、「福祉」と名付けられた学部・科名が増え、数年前から「医療」という言葉が大学関係者のなかでブームとなるのである。
 社会の変節に従って、求める人、学問が変わっていくことは仕方がないが、それにしても少々安易な気がしないでもない。
自民党の三原じゅん子議員が国会で「八紘一宇」という言葉を用いて世界の平和について述べたという。この言葉はもともと戦中の日本のスローガンであり、アジア諸国はすべて皇民のとなり、家族のように平和に過ごすという願いが込められている。今回三原議員はもちろん皇の字は外し、世界がすべて家族のようにという意味で発言したものである。
 若い三原議員(といっても50歳)がこの言葉を使用したことが、なんとなく嬉しい。三原じゅん子といえばタレント議員であり、ただの人気取りの客寄せパンダではなく、それなりに勉強をしていることが感じられる。おそらくもっと年長の議員でもこの言葉を知らなかった方もいるだろうに。
中学生が人を殺してみたくなり、その手始めとして、小学校で飼育されているヤギを殺そうとして捕まったという。
 「人を殺したくなる」という動機の事件はつい最近にもあったと記憶している。このような事件があるとにわか評論家たちがテレビ、ゲーム等の影響だと述べる。そうすれば必ずその反論も出てくるのも必至である。
 さて、真実は、その影響であることは間違いではないと思う。問題は「それが原因だ」と断定してしまうことである。ここで私が言いたいことは「それが原因だ」ではなく「それも原因だ」ということである。
 もっと小さなことで、「成績が下がったのはゲームのせいだ。」と断定される親がいる。(もちろんそれだけが原因ではなくそれも一因)それなら親としてはそれを規制、あるいは排除すべきなのである。そういった規制をせずに与えられるものすべてを許してしまうような親は、残念ながら失格である。たとえ、自分の子が犯罪者にならなくともである。
 なにかよくないことが起こった原因を一つ一つ排除し子供を育てることは必要なのである。子供からすれば「それが原因でない」は反論されるだろうが、「それも原因」であることがあまりのも多いことも事実なのである。 
 ものにはすべて限度があり、何事も程度(各個人によって異なる判断をされるだろうが)の問題である。
お笑い芸人の大御所、北野たけしが、最近出てきた若手の芸人に対し、「馬鹿大学の文化祭なみ」と厳しい評価をした。この芸人、きちんと見たことがないが、意味なくふざけているとしか思えない芸人であり、私も不快感しか湧かなかった。
 芸は、芸であり、お笑いは「おふざけ」ではない。これを評価し人気者にしてしまう一般大衆もおかしなもんだが・・・。
 今日、ふざけて、お金が稼げるような芸人は、見ている若者のほうも勤労意欲をなくすのではないだろうか?それともお笑いの質そのものが変化しているのだろうか?
 芸を見たい人も多いのである。
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