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何事も、いいも悪いも特別扱いすることに対し、違和感がある私ですが。自分の中では仕事やプライベートでもある特定の人物、事柄に対し特別扱いを避けています。(以前高校野球が特別扱いされているのが理不尽であるとの記述もしましたが)
 歴史上、幕末の海援隊の隊長の坂本竜馬はリーダーでありながら、給金は一般隊士と同額。利益は人数分で割り均等に配分したという。およそ3両2分程であったという。それに対し同時代を生きた新撰組に関しては幹部と平隊士との差は激しく、局長の近藤勇は50両、平隊士は10両だった。高給取りの集団であったのである。海援隊は今の金額に換算すると21万円位である。
 また、ボリビア人民解放軍時代の司令官のチェ・ゲバラはボリビアでゲリラ隊を結成した時、隊員を引き連れある家に宿泊した時、ベッドが4つしかなかったときがあった。隊員はそれ以上である。そこでこれも特別扱いが嫌いなゲバラは全員(もちろん司令官である自分も含めて)床に寝たという事実がある。また行軍中も荷物は皆平等。どちらかというと幹部のほうが重かったという。
 案外、竜馬、ゲバラが好かれている理由もここにあるのかもしれない。
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昨6月1日から、アメリカザリガニとアカミミガメの放流等の規制が厳しくなった。捕まえたり飼育したりすることはいいらしいが、それを放流することは違反になった。たとえ捕まえてもその場でリリースすることはいいらしいが、他の場所で放流したり、いったん家に持ち帰って放流するのも違反となるのである。
 アカミミガメと言えばミドリガメと称し縁日などで売っていたのを見た記憶がある。それが売れなくなったためか、飼育していた人が飼育を断念し放流したことで、日本中で多いに繁殖したものである。私が日課としている散歩道にある池でも目撃するのはほとんどアカミミガメである。同じように繁殖し、イネに被害を出す、リンゴ貝ある。
 また、アメリカザリガニはさらに年代を遡り、昭和の初期にウシガエルの餌として20匹が持ち込まれ、今では全国に当然のようにいる水生動物である。これだけ多くいるのに元はたった20匹だったということが面白い。
 このアメリカザリガニは子供のころ川遊びだ必ず現れ、子供にとって時には嫌われ者、時には遊び仲間として身近な動物であった。私が大人になっても近所の川で、自分の子や孫と釣って遊んだものである。
 この両者、これだけ身近な動物だけど、駆除することは可能なのか、また小川からアメリカザリガニはが消えるということも寂しいものである。
昨年の夏、参院選に当選した、ガーシー氏が一度も登院していないということで除名された。その間支給された給与は2000万弱。これは国民の税金である。何も仕事せずに、一度も議事にでず何もしなくてこれだけの金額をもらったのである。除名が妥当かどうかより除名されても仕方がないものである。
 さて、この人はユーチュウバーということで芸能人の裏話を暴露することをしている人だという。比例代表で出たのであるがそのような人をたてることにも問題があるが、それに投票する人がいるということが問題である。彼は外国にいて選挙活動もやっていないということである。
 かつて、あるプロスポーツ選手の女性議員が参議院・衆議院のことも知らなかったと当選後発言したこともある。いわゆる『客寄せパンダ』といわれる人である。
 ここで思う。立候補するに際し、ある程度の試験を課すべきではないか。それにパスしたら承認せれればいい。また投票する人も、ただ有名人だから、好きなタレントだから、または「どれにしようかな?」と票を入れるようなら棄権したほうがいいと思う。そんなレベルで政治を行う人を選出してもらいたくないと思う。
 ちなみに、独裁者といわれるヒトラーも決して独裁者でなく、選挙で選ばれた人である。しかも一度落選もしているのである。
 有権者はもっと政治に関心を持ち、学習すべきである。
今日12月8日は日本軍がアメリカに宣戦布告し(直前だが)ハワイの真珠湾を攻撃した日である。今から81年前のことである。そして昭和20年8月15日に敗戦。
 小中学生は「戦争はよくない。話し合いで解決くけましょう。」とよく述べる。しかし、その話し合いで解決がつかないから戦争になるのである。
 当時の世界情勢とその考え方を勘案してみると、どうしてもそういう選択があったのはやむ追えない事情としてあったのではないかとも思えることもある。
 敗戦の結果、日本人は自虐思想を植え付けられ、何でもかんでも日本が悪い、反省せよとなってしまった。
 もうそろそろ客観的に歴史をとらえ、顧みるころではないか?全く根拠のないウソの事件にも謝罪することも控えるべきである。
土曜日の夜BSで「男はつらいよ」の最終版を見た(確か50作目か?)。この映画は主人公の渥美清が亡くなってから、過去のシーンを利用して作られたものである。主人公は寅さんの甥の満男になっている。(シリーズ末期は満男がほぼ主人公となっている)満男がいろいろと悩みながら「こんな時おじさんがいたならどうしたのだろう?」と疑問を持ちながら物語は進んでいく。
 そしてラストのシーンでは、満男が自分の書斎に居ながら、過去を思い出し、涙をながす。このときに過去のシーンが続く、若いころの寅さん演じる渥美清は顔がつやつやとし、若々しく思わず微笑みが出る。そして時代を下っていくに従い、若さと顔の艶がなくなっていき演じる寅さんを見るにつけ、見ているほうも満男と同じ涙が出る雰囲気である。
 現実に役者渥美清がなくなっているのだが、画像には生き生きとした寅さんがいる。元気でいる映像を見るたびに、亡くなった現実を知り寂しくなるものである。
 人の世は常であらずということを満男の涙は語る。
そして、いつもより長いエンデイングと唄。人は必ず死という結末がある虚しさは避けれれない。
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