アメリカのフォーク歌手のボブ・ディランがノーベル文学賞に決定したという。すごいことである。平和賞でもいいのではないかという意見もあるが。フォークの歌詞が文学として認められたことが何よりも嬉しい。私もフォーク小僧で、彼の唄は今でも時々口ずさむ。
中学から高校にかけて、愛やら恋やらを乱発するアイドル歌手・演歌歌手にうんざりしていた時期(今もそうだが)にフォークを知り、メロディより詩の内容を味わう、所謂反戦歌、メッセージソングに傾倒していった。そして岡林信康、高石友也に取りつかれるようにのめりこんでいった。
友部正人は「日本のボブ・ディラン」と言われていたが、やはり「日本のボブ・ディラン」は岡林だと思う。ちなみに友部正人はせいぜい「名古屋のボブ・ディラン」でよかったとも言っている。1970年代の高校生のとき、北山修・寺山修司の詩をフォークを通して知り、文学性の価値の高いものと感じ、なぜ文学として認めることがないのかとも感じていた。その後、現在、高校の国語の副教材に寺山修司が詩人として紹介されており、それを見たとき大人の世界でも認知されたのだと思い嬉しかったものである。
いずれ北山修も文学界では詩人として教科書に載ることが起こるのかもしれない。これは期待する。
ともかく、ボブ・ディランの詩が文学としてノーベル賞をもらい、文学として認知されたことは私たちの青春時代は間違っていなかったことの証にもなるだろう。
中学から高校にかけて、愛やら恋やらを乱発するアイドル歌手・演歌歌手にうんざりしていた時期(今もそうだが)にフォークを知り、メロディより詩の内容を味わう、所謂反戦歌、メッセージソングに傾倒していった。そして岡林信康、高石友也に取りつかれるようにのめりこんでいった。
友部正人は「日本のボブ・ディラン」と言われていたが、やはり「日本のボブ・ディラン」は岡林だと思う。ちなみに友部正人はせいぜい「名古屋のボブ・ディラン」でよかったとも言っている。1970年代の高校生のとき、北山修・寺山修司の詩をフォークを通して知り、文学性の価値の高いものと感じ、なぜ文学として認めることがないのかとも感じていた。その後、現在、高校の国語の副教材に寺山修司が詩人として紹介されており、それを見たとき大人の世界でも認知されたのだと思い嬉しかったものである。
いずれ北山修も文学界では詩人として教科書に載ることが起こるのかもしれない。これは期待する。
ともかく、ボブ・ディランの詩が文学としてノーベル賞をもらい、文学として認知されたことは私たちの青春時代は間違っていなかったことの証にもなるだろう。
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