ちょうど70年前の今日、旧日本海軍はハワイに集結していた、米機動部隊を奇襲攻撃する。太平洋戦争が始まった日である。山本五十六(最近映画になった)が立案。(ちなみに彼は最後まで対米戦争は反対していた)総攻撃指揮官は淵田美津雄大佐として湾内に停留中であった米戦艦軍を攻撃。一番の目標の空母エンタープライズは他場所にいて無傷。そして特殊潜航艇にて湾内に侵入していた10人(二人乗り5隻)のうち9人が戦死。酒巻和男少尉は漂流中を捕えられ捕虜第1号となる。彼は数年前に他界したが、その家族、本人はかなり苦しんだという。ちなみに戦死者9人は「昭和の軍神」として讃えられる。
状況を述べると切りがないが、当時のことを調べると、日本がアメリカの挑発に乗ってしまったとしか思えない。米は日本が仕掛けてくるのを待っていたようである。米のハル国務長官によるハルノートといわれるものには「日本いじめ」としか思われない内容もある。(もっとも日本は当時中国いじめもやっていた。しかしこれは日本だけでなく欧州諸国も中国に進出していたのである。欧米が中国を支配下におけば次は日本と思うのは当然のようであるが。しかし中国の方は日本だけを目の敵にしているような気もしないことはない・・・余談)
戦争反対は当然であるが、当時としてはまさに「窮鼠猫を噛む」の状況だった。戦争は勝った方が正義とされてしまうが・・・・。反戦・非戦を唱える若者よ!歴史の勉強をしよう。
(注)
決して戦争を肯定しているのではない。当時の状況を思うとそうならざるをえなかったと思ってしまう。
状況を述べると切りがないが、当時のことを調べると、日本がアメリカの挑発に乗ってしまったとしか思えない。米は日本が仕掛けてくるのを待っていたようである。米のハル国務長官によるハルノートといわれるものには「日本いじめ」としか思われない内容もある。(もっとも日本は当時中国いじめもやっていた。しかしこれは日本だけでなく欧州諸国も中国に進出していたのである。欧米が中国を支配下におけば次は日本と思うのは当然のようであるが。しかし中国の方は日本だけを目の敵にしているような気もしないことはない・・・余談)
戦争反対は当然であるが、当時としてはまさに「窮鼠猫を噛む」の状況だった。戦争は勝った方が正義とされてしまうが・・・・。反戦・非戦を唱える若者よ!歴史の勉強をしよう。
(注)
決して戦争を肯定しているのではない。当時の状況を思うとそうならざるをえなかったと思ってしまう。
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よくもまあ、29年間大したピンチもなく、やってきました。我が配偶者に感謝しています。不謹慎にも30回忌とタイトルを付けましたが、結婚とは「青春の葬式」なんでしょうね。結婚は、一人の人の人生を道ずれにすることなのです。間違った道を(本人にとって)歩む危険性もあるのです。自分のことと同じくらい配偶者のことも考えなければならないし、子どもが出来れば、自分のことより家族のことを優先にしなければならないし、仕事でいやなことがあっても家族がある以上投げ出すこともできない、ある意味では夢を半分諦めなければならないのですね。だから「青春の葬式」なのです。
しかし、今、私は子供が自立した以上ある程度務めを果たしたとも思っています。だから今「青春復活」なのです。後何年生きるのかわからないですが、再び夢を持ち、肩の力を抜いて、配偶者と生きてゆきたいと思っています。配偶者よ!私の我儘にもう少し付き合ってくだされ!
しかし、今、私は子供が自立した以上ある程度務めを果たしたとも思っています。だから今「青春復活」なのです。後何年生きるのかわからないですが、再び夢を持ち、肩の力を抜いて、配偶者と生きてゆきたいと思っています。配偶者よ!私の我儘にもう少し付き合ってくだされ!
1970年(昭和45年)この日、東京市ヶ谷の自衛隊バルコニーで作家三島由紀夫が演説、そして割腹自殺。戦後の大きな事件があった日である。当時中学生だった私はとても興味をもち、中学、高校と三島作品を多く読む。三島美学とさえいわれた三島作品。「仮面の告白」「金閣寺」など読むが、三島の思想には賛同できなかった。さきほどYouTubeで演説シーンを見たが、不謹慎だがかっこいい。ちなみに楯の会会員数人と自衛隊に乱入したのであるが、その中に我が大学のOBがいた。下宿のおばさんがあの時は警察が来たりして大変だったといっていた記憶がある。もう忘れ去られた昭和の大事件であるが、この日は毎年思い出す。昭和は遠くなってしまった。
思い浮かぶのは、坂本竜馬の命日。慶応3年京都近江屋で中岡槇太郎とともに暗殺される。犯人は佐々木只三郎、今井信郎、桂隼之介、はたまた西郷黒幕説がありはっきりしない。いずれにしても時効であるが・・・。
さて、この竜馬、多くの人に愛されているが、会津出身の早乙女貢氏に言わせると、「剣しか使えない、頭の悪い木偶の坊の女たらし」と酷評。どんな人だったのかは今現在会ったことのある人が現存しないため自分で勝手の思いめぐらすことに歴史の楽しさがある。また、一介の浪人がなぜ、越前の大名松平春嶽、またその家老にあうことができたのかはナゾである。武田鉄矢氏は実家の才谷屋の資本、すなわち多額の政治献金を行っていたためだといわれている。(私説坂本竜馬)
ちなみに、竜馬が寺田屋にて幕使に捕まりそうになったとき、お竜さんが風呂の窓から確認し裸で飛び出し、竜馬と三吉慎蔵に伝えたというのは司馬遼太郎の創作である。しかし、竜馬関係のどの本にも史実のように書かれているのが面白い。司馬さんの歴史のなかリアリティとしていきているのが素晴らしい。
さて、この竜馬、多くの人に愛されているが、会津出身の早乙女貢氏に言わせると、「剣しか使えない、頭の悪い木偶の坊の女たらし」と酷評。どんな人だったのかは今現在会ったことのある人が現存しないため自分で勝手の思いめぐらすことに歴史の楽しさがある。また、一介の浪人がなぜ、越前の大名松平春嶽、またその家老にあうことができたのかはナゾである。武田鉄矢氏は実家の才谷屋の資本、すなわち多額の政治献金を行っていたためだといわれている。(私説坂本竜馬)
ちなみに、竜馬が寺田屋にて幕使に捕まりそうになったとき、お竜さんが風呂の窓から確認し裸で飛び出し、竜馬と三吉慎蔵に伝えたというのは司馬遼太郎の創作である。しかし、竜馬関係のどの本にも史実のように書かれているのが面白い。司馬さんの歴史のなかリアリティとしていきているのが素晴らしい。
C学院大学での半年ぶりの授業。現在不況ゆえやる気のある生徒もいました。主に3年生中心ですが、おおらかに勉強してもらいたいものです。
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