毎日、暑い日が続いています。この現象は地球規模で。最近は「地球沸騰化」とも言われている。原因は化石燃料の燃焼によるCO2の増加と言われとぃる。この説は一部の科学者は懐疑的であり、実際温暖化することでCO2が増加していることが現状である。
それはともかく、CO2の排出量を減らすという日本の政府の方針が現実にある。アメリカは温暖化の原因がCO2ではないとされ、また経済優先のためCO2の減少は非協力的である。
しかし、日本は排出量を減らすといいながら実際は増加しているのが現実である。個人レベルでは昨今の物価高でどの家庭も、電気、ガス、水道等の節約をしている。しかし、それには限度があり、微々なものである。本当にCO2の排出を減らすのなら、国または大企業のほうから削減をすべきであるのだが、実際は、大型ショッピングの冷房、照明、街のネオンサインなどを大きく減らすべきではないのか。またドームで冷暖房を効かせナイトゲームなども縮小すべきではないのか。
どうも、言うことと行動が相反しているような気がするこの頃である。
それはともかく、CO2の排出量を減らすという日本の政府の方針が現実にある。アメリカは温暖化の原因がCO2ではないとされ、また経済優先のためCO2の減少は非協力的である。
しかし、日本は排出量を減らすといいながら実際は増加しているのが現実である。個人レベルでは昨今の物価高でどの家庭も、電気、ガス、水道等の節約をしている。しかし、それには限度があり、微々なものである。本当にCO2の排出を減らすのなら、国または大企業のほうから削減をすべきであるのだが、実際は、大型ショッピングの冷房、照明、街のネオンサインなどを大きく減らすべきではないのか。またドームで冷暖房を効かせナイトゲームなども縮小すべきではないのか。
どうも、言うことと行動が相反しているような気がするこの頃である。
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自称「司馬遼太郎中毒」の私が、今年の初めもう一度司馬遼太郎の全作品を読みたくなり、毎日司馬さんの作品ばかりを読んでいます。我が家は司馬遼太郎だけの本箱があります。何度読んでも面白く、また新しい発見があります。
しかし、中でもあまり興味を引かなかった作品が「菜の花の沖」であったのが、今三度目を読んでいます。ところが三度目になるとぐっと引かれるものがあります。やはり、司馬遼太郎だ!と思いながら読んでいます。途中「ロシア事情」として主人公が出てこない部分が130ページほどありますが、それでも楽しめます。いい作品は何度か読めば、さらに良くなるということです。
しかし、中でもあまり興味を引かなかった作品が「菜の花の沖」であったのが、今三度目を読んでいます。ところが三度目になるとぐっと引かれるものがあります。やはり、司馬遼太郎だ!と思いながら読んでいます。途中「ロシア事情」として主人公が出てこない部分が130ページほどありますが、それでも楽しめます。いい作品は何度か読めば、さらに良くなるということです。
先週、昭和フォークの大御所、高石ともや氏が亡くなった。82歳。氏は真珠湾攻撃の翌日に生まれ、私の青春時代はナターシャセブンのリーダーとして唄う高石ともや氏にしびれていたといっても過言ではない。数年前に癌であったというニュースがあったが、笑顔を絶やさないひとであった。音楽嫌いの私は笑顔で歌う氏に、学校で習う音楽、テレビの歌謡番組以外の音楽をしり、彼に傾いていったのである。また、人生の楽しさを教えてくれる人でもあった。
フォークソングという言葉が死語になりつつあるのがさみしいものである。
フォークソングという言葉が死語になりつつあるのがさみしいものである。
昨日のこと、いつもの散歩の途中雨が降り出し、公園内にある休憩所に雨宿りすることになった。
そこには船客として若い女性がいる。その方はどこかの小学校の先生であり、生徒を引率して野外学習に来ている方だった。入る時「こんにちは、おじゃまします。雨宿りさせてください。」とあいさつし先方もあいさつ。その後、小学生が5~6人来て、その若い先生と話し始める。時々目にする光景である。その若い女性の先生が生徒たちに言う。「雨が降って、やばいね!」
この言葉が嫌いな私は愕然とした。この言葉ある芸人が使いはやらせたのであるが、あまりいい言葉ではない。語源は、江戸時代に矢場、すなわち射的場では売春が日常的に行われていたことから由来する。
特に若い女性が使用したり、ミーハー的な女子中高生が多くの頻度で使用していると、不快感がある。この言葉は使用しないでほしいものである。若い女性、しかも教職にある人は決して使うような言葉ではない。
以上、年寄りの苦言である。
そこには船客として若い女性がいる。その方はどこかの小学校の先生であり、生徒を引率して野外学習に来ている方だった。入る時「こんにちは、おじゃまします。雨宿りさせてください。」とあいさつし先方もあいさつ。その後、小学生が5~6人来て、その若い先生と話し始める。時々目にする光景である。その若い女性の先生が生徒たちに言う。「雨が降って、やばいね!」
この言葉が嫌いな私は愕然とした。この言葉ある芸人が使いはやらせたのであるが、あまりいい言葉ではない。語源は、江戸時代に矢場、すなわち射的場では売春が日常的に行われていたことから由来する。
特に若い女性が使用したり、ミーハー的な女子中高生が多くの頻度で使用していると、不快感がある。この言葉は使用しないでほしいものである。若い女性、しかも教職にある人は決して使うような言葉ではない。
以上、年寄りの苦言である。
今日10月1日から、食品・電気代・水道代等値上がりするという。我々、底辺の労働者にとって好ましくない事である。昨今のガソリンの値上がりにしても、車が必需品である田舎生活者にとって由々しきことである。政府は、ガソリンに補助金などを出すことにより過剰な高騰を抑えてきたということである。
また同時に国は最低賃金を本日から上げることにした。
ここで、少し考えればこの政策は矛盾していることに気がつく。最低賃金、すなわち人件費を上げれば諸物価はあがるのである。それをATをはじめとする機械化で補うとすれば雇用が減り、失業者が増すことになる。またサービスであれば機械化を好まない私のような年寄りも多くいることも事実である。機械化も限度があることも事実であり、人しかできない仕事も多いのである。
「最低賃金を上げる=物価の高騰」ということになることは避けられないのである。
国は、最低賃金まで取り決めなくてもいいのではないか?賃金が安ければ人は集まらない。資本主義の原理は、個々の企業に任せればいいような気がするこの頃である。
また同時に国は最低賃金を本日から上げることにした。
ここで、少し考えればこの政策は矛盾していることに気がつく。最低賃金、すなわち人件費を上げれば諸物価はあがるのである。それをATをはじめとする機械化で補うとすれば雇用が減り、失業者が増すことになる。またサービスであれば機械化を好まない私のような年寄りも多くいることも事実である。機械化も限度があることも事実であり、人しかできない仕事も多いのである。
「最低賃金を上げる=物価の高騰」ということになることは避けられないのである。
国は、最低賃金まで取り決めなくてもいいのではないか?賃金が安ければ人は集まらない。資本主義の原理は、個々の企業に任せればいいような気がするこの頃である。
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